ブルースが有り余る財力を使って貢ぎまくる話。クラブルが匂わす程度入ってます。

CASE 1.

「負けたらみんなをブランチに招待するって約束だろ?」  深紅のマントを靡かせ、鋼鉄の男は微笑む。 「楽しみにしているよ」

「っていうからいやいやここまで来たのに! あ、べつにブルースと一緒に出かけることがいやなんじゃないよ。ただブランチが嫌いなだけ。前も言ったけど少し待てばすぐランチじゃん! なんでわざわざ新しく名前までつけて分けるの? それかもう少し早く起きてモーニングにすればいいのに! おかしいよね? ブランチもランチも変わらない。大体名前だって似てるし」  バリーは一気に捲くし立てるが、その間もナイフを動かす手は止まらない。 「でも残念だったね。クラークが仕事で来れなくなるなんて。ダイアナはフランス、ビクターは定期メンテ、アーサーは音信不通。サラダ貰っていい?」 「ああ」  空の皿にサラダを盛りつけ、ブルースはバリーに手渡す。若者は笑顔で受け取り、驚異的な勢いで胃袋に仕舞っていった。清々しいほどの食べっぷりだ。いっそ好感が持てる。 「残念だったな。まさか空いているのが私だけとは」 「だから違う違う。ブルースがいやなんじゃないって。むしろ嬉しいよ! こんな綺麗なレストランで、友達と一緒にステーキ食べてるんだから! ブランチなのは残念だけど。他のみんなは別の日に誘えばいいし。あ、勿論ブルースも大歓迎。兎に角、今日はふたりで楽しんで、あとでみんなに羨ましがられてやろう!」  ブルースは思わず頬を緩める。年の離れた壮年の男と一緒に食事なんて、楽しいことなどなそうだが。それなのに青年は、子犬のようにちょこまかとブルースのあとをついて回る。自分でも柄じゃないと思うが、かわいがらずにいられようか。  ちなみに、バリーは現段階でステーキ一枚にサンドウィッチを二皿平らげ、ハンバーガーに手を伸ばしていた。二切れのサンドウィッチで腹が脹れたブルースは、大食漢を横目に食後のコーヒーを楽しんでいる。  おいしそうにハンバーガーにかぶりついていたバリーだったが、ふと手を止め、顔を上げる。 「あー、ブルース?」  バリーが際限なく話を続ける間、ブルースはずっと黙ったままだ。元々口数が多いほうではないということはバリーだってわかっている。しかしこうも静かだと居心地が悪い。 「なんかごめんね、僕ばっかり食べちゃってて」 「いや?」 「だってさっきから何も喋らないし、ずっと僕のほう見てるし」  もしかして、早く食べ終われという合図だろうか。食事も済んで会話にも飽きてしまったから、さっさとここから離れたいということなのだろうか。  ブルースは目を瞬かせ、それから困ったように眉を下げた。 「すまない。君があんまりおいしそうに食べるから」  ついじっと見てしまったと、ブルースは微笑む。  バリーの胸に温かいものが広がる。それは彼が久しく忘れていたものだった。 「ここは私が払おう」  財布からカードを取り出すブルースの手をバリーは慌てて止めた。 「僕が奢るって約束だったのに!」 「君は仕事を始めたばかりじゃないか。就職祝いだと思ってくれ」  そこまで言うのならと、バリーは友人の好意をありがたく受け取ることにした。 「ちゃんとお金が貯まったら、今度こそ僕が奢るね。そのときはみんなも一緒に」  ブルースは穏やかな表情で頷く。彼がゴッサムシティを縦横無尽に駆け回り、犯罪者だけでなく市民からも恐れられる闇の騎士だと誰が思うだろうか。 「そうだな。また一緒に行こう」  父の無罪を晴らすにはまだ時間がかかるだろう。ヒーローとして活動し始めたバリーには、きっと数多くの試練が待っているだろう。それでも彼は今、ひとりではない。それだけで、すべてうまくいくような気がしてくる。

CASE 2.

甲高い靴音を聞き、ビクターは手を止めた。実のところ、この音が聞こえてくるのを心待ちにしていたのだ。 「またここにいたのか」 「エンジンの様子がおかしいって言ってただろ? 一応見ていたところだ」 「それはありがたいが」  ブルースは手に持っていた箱を軽く振る。 「根を詰めるのもよくない。休憩しよう」  ガレージで作業をするとき、ブルースはいつも何か差し入れてくれる。それもクッキーやチョコレートといった摘まみやすいものを。彼からの甘い贈り物は、ビクターのささやかな楽しみとなっていた。菓子を貰うためにガレージに来ていると言ってもいい。我ながら子供のようだと呆れる。あの赤い大食漢を笑えない。 「職場の人間がくれたものだから味は保証できない」 「あんたが持ってくるものはなんでもおいしいよ」  これは決してお世辞ではない。実業家として幅広い人脈を持つブルースの元には、毎日のように贈答品が送られてくる。その中から特に若者が喜びそうなものを、ブルースは持ってきてくれた。薫り高いチョコレート、バターがたっぷり入ったクッキー、生クリームの載ったカップケーキ、鮮やかに光る一口サイズのゼリー。そういった知識に疎いビクターでも、決して安いものではないことはすぐにわかった。 「これ食べていいのかな」  高級そうな箱に入った、明らかに個人宛、もしくは特別な意味を込めたであろう菓子の数々。味の良し悪しもよくわからない自分が食べていいものかと、ビクターは若干尻込みする。 「いいんだ。私とアルフレッドだけでは食べきれない」  では、遠慮なく。ビクターはいそいそと蓋を開ける。箱にはぎっしりとチョコレートが詰められていた。フルーツやナッツの乗ったもの、カラフルに彩られたもの。光沢あるチョコレートたちに思わず感嘆の吐息が漏れる。まるで宝石箱だ。  銀色の指がひとつ、艶々と輝くチョコレートを摘まむ。口いっぱいに広がる芳醇な香り。濃厚な舌触り。溶けていくのが惜しいくらいに美味だった。 「おいしい」  ビクターの滅多に変わらない顔が綻ぶ。それを見て満足したのか、ブルースもチョコレートを一粒摘まみ、口に運ぶ。 「父上は元気か?」 「一応」 「たまにはゆっくり帰ったらどうだ」  口調こそ変わらないものの、ブルースは心配そうに眉を下げる。この男もこんな顔もするのかと思い、ビクターは小さな笑みを浮かべる。 「帰ってるよ。ときどき」  ビクターは肩を竦める。 「でも帰っても父さんにはメンテナンスぐらいでしか会えない。まだ箱の件で忙しいみたいだから」 「そうなのか?」 「ああ。だから暇を持て余すよりもここで手を動かすほうがいい」 「それはありがたいが……。作業ばかりしていても体に悪い。たまには外に出たらどうだ」  サイボーグとして生まれ変わったビクターは睡眠も必要なく、食事もほとんどしない。一日中ガレージの中で機械弄りに没頭している。ブルースはこれを心配していた。 「体に悪いって、俺の体は機械でできているのに?」  そう言って、ビクターは自嘲気味に笑う。 「それにこの体で街に出たら大騒ぎになる」  正体を隠して活動する他のメンバーと違い、ビクターにはプライベートが存在しない。金属に覆われた四肢や顔、赤く光る瞳を見れば、嫌でも気づく。彼が普通の人間とは異なることに。  だから安易に外出もできないどころか、日常生活さえ儘ならない。街で暮らすことはまず無理だろう。どこにでも人の目がある。働くことも、恐らくパートナーを見つけることも。ビクターはこれから、普通の人々であれば当たり前に手にすることができる、そのほとんどのものを犠牲にして、生きていかなければならない。 「そうか、そうだな。すまない、無神経なことを訊いて」  本人よりも沈痛な表情を滲ませるブルースを見て、ビクターは慌てて付け足した。 「ちゃんと息抜きもしているよ。読書をしたり、バリーが教えてくれた映画を見たり」  無邪気に駆け回る赤い閃光の姿が脳裏に浮かび、ふと彼が前に話していたある提案を思い出す。 「そういえば、今度映画に行かないかって言ってたな」 「いいじゃないか。映画館なら暗いし、君も気兼ねなく過ごせるだろう」  ブルースはやっと安心したのか眉間の皺を伸ばす。自分のことでもないのに一喜一憂し、表情を変える男。構ってほしいというわけでもないが。 「……偶には心配されるのも悪くないな」 「どうした?」 「なんでもない」  多くのものを失った。友人、生活の場、自身の肉体、これまで築き上げてきたすべてのものを。もう自分には何も残っていないと絶望したこともあった。  しかし今なら胸を張って言える。自分の居場所はここだ、と。

CASE 3.

この男はどうしてこう、やることが極端なのだろうか。  アーサーの目の前にはずらりと並べられた酒瓶の数々。銘柄はどれも高級なものばかり。 「約束通り持ってきたぞ」  酒を運んできた張本人は満足気だった。 「一通り揃えたが、足りないようなら遠慮なく行ってくれ」  アーサーは頭を抱えた。まさか軽い気持ちで発した一言でこんなことになろうとは。  話は数日前に遡る。

ステッペン・ウルフとの戦いを終え、みんなそれぞれの日常へ戻っていく。アーサーも明日の朝早くに寒村へ戻るつもりだ。 「アーサー、ちょっと待ってくれ」  呼び止めたのはブルースだった。黒いタイツで戦う蝙蝠男は、神妙な面持ちでアーサーに近づく。 「明日帰るんだったよな?」 「まあな。流石に空け過ぎた」  冬の海は厳しい。高波に飲まれ、零下の海に引きずり込まれれば、あっという間に凍死してしまう。この苛酷な環境の中、魚を取ることができる者は海の覇者、アーサー・カリーくらいであろう。寒村では飢えた村人たちが彼の帰りを待っている。 「その前に訊きたいことがある」  ブルースの真剣な様子を見て、アーサーも思わず身構える。新たな敵が現れたのだろうか。 「何か欲しいものはないか?」 「は?」  意外な言葉にアーサーは気の抜けた声を出す。 「ものじゃなくてもいい。やってほしいこととか」  ちょっと待て。 「待て待て蝙蝠男」 「なんだ?」 「話がまったく見えないんだが」  ブルースの話によればこうだ。 「共に戦ったのも何かの縁だろう。君たちの力になりたい」 「力ねぇ」 「なんでもいい。クラークには売り払った農場、バリーは科学捜査官の推薦状、ビクターはラボを改装してほしいと言ってたな」  ブルースの声は普段よりも生き生きとしている。友人と若者たちの願いを叶えることができて、嬉しいのだろう。これでよく二十年間も犯罪都市を守ってきたなと、アーサーは呆れる。 「それでアーサー、君の希望は」 「ない」  ブルースの目が大きく開かれる。驚いた様子の男を見て、アーサーはしてやったりと口角を上げた。 「何も欲しくない。今のままで十分事足りている」 「しかし……」  ブルースは納得がいかないようだった。 「そこまで言うならありったけの酒を用意してくれ。ここのじゃ足りねぇ。お前がこの間飲ませてくれたあれ、うまかったな。次会うときまでに揃えておいてくれ」  かくして、アーサーは帰路に着いたのである。

用意してくれといってもケイブに寄ったときに出してくれるとか、よくても郵送とか、そういうことを想像していたのだ。何十本という酒瓶と共にプライベートジェットで颯爽と現れるなど、誰が予想できようか。因みに、アーサーが気に入ったといった銘柄は七本も持ってきてくれた。律儀な男だ。 「何かあったらいつでも連絡してくれ。むしろ連絡できるようにしてくれ。バリーがブランチに誘えないと拗ねてたぞ」 「もう帰るのか?」  ブルースは本当に酒を運んできただけらしい。扉に手をかけようとする彼を今度はアーサーが止める。 「こんなにたくさん、俺ひとりで飲み干せるか」  アーサーはボトルを一本掴んだ。 「少し付き合え」  外は吹雪いているようで、風が激しく窓を揺らしている。 「明日は何か予定でもあるか?」 「さぁ、そういえば取引先との会議が入っていたような。しかし些細なことだ」 「些細なことか」 「些細なことさ。この時間に比べれば」  男たちは笑い合い、酒を交わす。 「なぜこの村に?」  ブルースは以前から抱いていた疑問をアーサーにぶつけた。アーサーは四本目のボトルの詮を抜く。 「特別な理由はない。ただ俺がいないと飢え死にしちまう。目覚めが悪いだろ」 「意外と優しいな」  笑う男を横目に、アーサーはグラスを呷る。なぜここにいるのか。多分、人助けは口実に過ぎない。 「この村にいるのは他から見捨てられた連中だ。ここ以外居場所がない」  陸にも海にも馴染めずにいた、幼い自分が顔を覗かせる。 「俺はただ、そいつらと自分を勝手に重ねてるだけだ」  だからこれは自分自身のためだ。  アーサーの話を聞いたブルースはくつくつと笑う。 「やっぱり見た目の割に優しいな」 「見た目の割には余計だろ」  酒の力か、外の静けさからか、話は深まるばかり。偶にはこんな夜も悪くない。余った酒は明日、酒場にでも持っていって、常連たちに飲ませてやろう。

CASE 4.

ダイアナは途方もない時間を生きてきた。多くの人間たちと出会い、別れ、世界の変革を何度も目にした。移ろいゆく時代の中で、それでも彼女だけは変わらなかった。その美しさも、気高さも。  とはいえ、彼女のライフスタイルは着実に変化している。普通の人々に紛れて生活を送っても、違和感を覚えさせないためだ。その時代に合った服を着て、仕事をし、「常識」を身につける。  現在、街から馬は消え、人々は便箋を捨てた。ダイアナも手綱ではなくハンドルを握り、携帯電話を持つようになった。液晶をタップし、メールを開く。 「デートのお誘いかしら?」

ロシアでの決戦後、ブルースは例に漏れず、ダイアナにもあの質問をしていた。 「何か欲しいものや、やってほしいことはないか?」  ダイアナは険しい顔で腕を組み、考え込む。真面目な性分なのだ。 「なんでもいいの?」 「俺ができることなら」  ダイアナは暫く悩み、意を決したのか携帯電話を取り出す。 「これを食べに行きたいんだけど」  液晶に映し出されたものは、様々なトッピングに彩られたアイスクリーム。 「友人がアメリカ旅行の写真を見せてくれて。どうしても食べてみたいの」  大きなカップに溢れんばかりのアイスクリームとフルーツやチョコレート、ナッツのトッピング。  ブルースは少々驚いた。彼女のことだから、もっと次元の高い希望だと思っていた。まさかアイスクリームを食べに行きたいだなんて。 「駄目かしら?」  ブルースは微笑んで首を振った。滅多にない女王様のお願いだ。聞かないわけにはいかないだろう。

「あれ食べたい!」 「バリー、走るなって」  前を歩く若者たちの後方を四人はのんびりと追いかける。目当てのアイスクリーム店はメトロポリスにあった。街に詳しいであろうクラークを誘い、それを聞いたバリーがついでにこの間のブランチの件をリベンジしたいと言い出し、連絡を取れるようにしておけと釘を刺しておいたアーサーを呼び、ガレージに籠っていたビクターを無理矢理外に出し、結局六人で店に向かうこととなった。 「あれが僕の働くデイリー・プラネットだよ」  友人たちが遊びに来てくれたことが余程嬉しいのか、クラークは張り切って道案内に乗り出す。 「あれがいつも行くパン屋さん。サンドウィッチがおいしいんだ。あっちによくロイスと行くレストランがあって……」  いろいろと余計な情報もついてくるが。 「アーサー」 いつの間にか後方へ移動していたビクターがアーサーを呼ぶ。 「あんたの兄弟たちじゃないか?」  そう言って、ビクターは店頭に並ぶたくさん魚を指した。 「本当だ。これなんてそっくり!」 「お前らなぁ」  バリーも一匹の魚を指して笑う。流石に注意しよう思うブルースだったが、本人はさほど気にしていないようだった。 「あんまり言うとピラニアに食わすぞ」 「ピラニアは淡水魚だから管轄外じゃないのか?」 「え!? そうなの?」  わいわい賑やかな友人たちを見て、ダイアナは目を細める。

「ここだよ!」  クラークが指差すそこには、すでに人だかりができていた。大きなカップを持った人々が、幸せそうな顔で通り過ぎる。 「何にしようかしら」  様々なフレーバーが並べられたガラスケースを、ダイアナは覗き込む。 「今日は僕の奢りだからなんでも好きなの頼んでね!」 「じゃぁ、この店のやつ全部」 「待って、アーサー! 魚のことは謝るから!」  全種類とは言わないものの、それぞれ好きなフレーバーを選び、思い思いにトッピングする。 「満足したか?」  一回り小さなカップを持つブルースは、ダイアナに尋ねた。彼女の瞳は鮮やかな色を映し、輝いて見える。 「勿論」  また、隣で共に笑ってくれる友人を得たのだから。

CASE 5.

とうもろこし畑は夕陽で赤く染まっている。ここは都会と違い、静かで、風が葉を撫でる音しか聞こえない。  ウッドデッキの手摺に寄りかかり、ブルースはぐるりと辺りを見渡す。目の前には畑しか広がっていない。それでも彼は、飽きることなく地平線を眺めている。 「できたよ」  家主であるクラークは、我が家を訪ねてきた友人のために採れたてのとうもろこしを茹でてくれた。どれも大きく、艶々と輝いている。 「君が取り返してくれた畑で採れたものだ」  ブルースはそのひとつを手に取り、口に運んだ。 「うまい」 「そうでしょう」  クラークもひとつ掴んで齧りつく。とうもろこしの甘みが口いっぱいに広がる。 「君には本当に感謝しているよ」 「これだけうまいなら取り返した甲斐がある」  風が、ふたりの間を吹き抜ける。静かだ。怒号も銃声もサイレンの音も、ブルースが普段耳する喧騒は何ひとつ聞こえない。 「ここはいいところだ」 「気に入ったのならいつでも来てよ。君が買ったようなものだから」  闇の騎士として恐れられる男の穏やかな表情に、クラークは満足した。なぜかこんな彼を見ると嬉しい。これは恐らく優越感だ。与えることしか知らない男が、とうもろこし一本で満たされてしまう。 「君に与えられるのは僕だけだからね」  ブルースは不思議そうに友人の顔を見た。彼は何も言わず、微笑むだけだ。