参謀が王子を監禁しそうでしない話。

ゼベルの至宝、赤髪のネレウス皇太子殿下は、彫刻のように整った顔立ちをしている。緻密に計算され、作り込まれなければ、これほど均衡のとれた美貌にはならないだろう。海のように透き通った瞳を長い睫毛が縁取り、真っ直ぐに伸びた鼻梁が高貴な印象を与えている。その美しさは冷たく鋭利で、「彫刻のようだ」と評されるのも無理はない。  しかし、ひとたび笑えば、顔にはまだあどけなさが残っていた。まるで雲の隙間から差し込む陽の光、華やかな珊瑚の海。あらゆる言葉を使っても語り尽くせない。それほどまでに可憐で、心をかき乱されような、胃のあたりをきゅっと掴まれたような、そんな心地になる。

執務室を案内してやると、ネレウスは興味深そうにきょろきょろと辺りを見渡した。一応共用のスペースとなっているが、ここにはバルコ以外ほとんど立ち入らないし、書類を保管することもない。あくまで静かに事務を片付けるためのスペースだった。 「棚にあるものは見てもかまわないのか」 「ええ。どうせ古い帳簿や来賓のリストですよ。今は倉庫のような扱いになってしまって、私以外足を踏み入れません」  元来、騒がしい場所を好まないバルコは、よくここに閉じこもって作業していた。乱雑に差し込まれた書類に、古い机と椅子がひとつ。 「お前の匂いがする」  そう言って笑うネレウスを見てしまえば、もう駄目だった。浮力に任せて浮き上がり、桜色の唇を塞ぐ。ネレウスの瞳が驚きで見開かれる。大きな背中を優しく撫で、緊張を解してやると、次第にその瞳がとろりと溶けていった。皇太子殿下は撫でられるのが好きだ。頭でも背中でも、とにかく安心するらしい。口づけを深まると、微かな吐息が漏れた。  しかし、生憎この部屋には古い机と椅子しかない。試しに長身の体を机の上に横たえたが、みしりと悲鳴を上げて軋み、長くは持たないだろうと察する。それに、こんな固い場所に寝かされれば、皇太子殿下がかわいそうだ。 「困りましたね」  言葉とは裏腹に、バルコはさほど困ってなさそうだった。 「ね、殿下」 「……はっ、ぁ」 「このままだとあなたの柔らかい皮膚を傷つけてしまうかもしれません。しかし外に出るのも億劫だ。どうしましょう」 「んんっ!」  服の上から腹を撫でると、ネレウスの背が打ち上げられた魚のようにびくびくと震えた。 「今日のお前は、っ……なんだか少し、怖い、な」  それは心外である。むしろ、バルコはよく尽くしているほうだと自身を評価している。  何も知らない皇太子殿下。ひとを疑わず、警戒心も持たず、世界は優しくて素晴らしいところだと信じている。  悲鳴も辺りに届かない、暗く狭い部屋でふたりきり、このまま殺されても文句は言えまい。  いっそ部屋に鍵をかけてやろうか。そうすれば、彼の美しく柔らかい心は、外の世界の波に揉まれてささくれることもないだろう。  などと、考えるだけである。  考えるだけで、実行に移すようなことはしない。 「バルコ」  骨ばった指がぎゅっと袖を掴む。 「もういい。もういいから、早く」 「早く、なんです?」  耳元で囁かれる言葉に、バルコはひっそりと笑う。

今この瞬間だけ、彼の心の美しさを証明できればそれでいい。