※事件・事故等の描写があり、気分を害される恐れがあります。 ジンに命の危機が!はたしてキャシアン青年は愛する女性を守ることができるのか!?というありふれた話。転生パロです。

【注意】 ・上記でも述べましたが実際の事件・事故等を連想させるような描写があります ・ありとあらゆるCPとコンビが乱雑してる ・キャシアンの性格が中の人寄り(クールではない) ・まさかのオーソンさんに妻子がいる ・ソウさんにも奥さんがいる ・死んだ人が普通に生きている

とにかく皆を幸せにしようとしたら捏造まみれのお話になりました。 前の作品と少しだけリンクするところもありますが、読んでなくても支障はありません。

「アイスクリームは掬うものじゃない。掘り進めるものよ」  彼女はそう力説して目の前のバニラアイスを豪快に頬張る。見た目に反して逞しい食べっぷり。でもそんなところもかわいいんだよなあ。 「キャシー、すごい顔してる」  向かいに座るボーディが笑いこらえていた。 「気にしないで。いつものことだから」 「いつもニヤニヤしながら食べてんの?気味悪いよ」 「ボーディうるさい」  だってしょうがないじゃないか。彼女がこんなにもかわいいんだから!  ジンとは交際して3年、一緒に暮らし始めて1年になる。そろそろ結婚も視野に入れる頃だろう。 「ガールフレンドばっか見てないで俺の料理も味わってくれよ」  カウンターにいるマスターが呆れながら声をかける。  僕たち3人は行きつけのカフェで昼食を取っていた。カフェは半年前にオープンしたばかりだったけど評判はいい。なんせマスターの作る料理はどれもおいしくて、特にシフォンケーキは絶品。この店に来たら一度は食べてほしい味だ。マスターは顔は怖いけど優しい人で、今日だっておまけにデザートも付けてくれた。 「いいなあ、ふたりとも。仲いいし」 「キャプテン紹介してやれよ」  マスターが僕を見る。彼はなぜが僕のことを「キャプテン」と呼んでいた。 「いいよ。黒が似合うスリムな子がいるんだ。Kっていうんだけど」 「Kは猫!しかもオス!」  店内に笑い声が響く。愛しい人に大事な友人たち。幸せな時間だ。 「ところでキャシアン」  ジンが最後の一口を放り込んで言った。 「パパがあなたをディナーに招待したいんですって」

彼女の父、ゲイレン・アーソと会うと思うと正直胃が痛い。なぜなら僕は彼と初めて会ったとき、とんでもないミスを犯してしまったからだ。  その日、僕はボーディに誘われて彼の恩師の家へ行った。もうすぐ卒業だから食事でもと招待されたらしい。ボーディは高校時代の友人で、別々の大学に進学したもののずっと交流があった。そしてボーディを大学で教えていたのがアーソさんだったってわけ。友人代表としてなぜかアーソ家で夕食をご馳走になろうとしていたとき、その家の一人娘であったジンと運命の出会いを果たす。彼女の魅力にすっかり取りつかれた僕は思わず皆の前でこう言った。 「結婚してください……」  アーソさんは赤ワインを吹き出し、ボーディはステーキを詰まらせ、彼女の母、ライラさんはトレーを落とした(何も載せてなくてなくてよかった)。そして当の本人はシレッと言った。 「友達からでよかったら」  これがきっかけでジンと付き合えたからいいけど、アーソさんとはちょっと気まずい。見ず知らずの男が娘にいきなり結婚を申し込んだら、いくら穏やかなアーソさんでも流石に内心怒ってるかもしれない。いや、実際に怒られたことはないけど。  でもどんなカップルであれ彼女の父親と会うのは緊張するものだろう。キリキリする胃を押さえながらアーソ家へ向かう。  ベルを鳴らすとライラさんがにっこりと出迎えてくれた。 「久し振りね、アンドーくん。元気だった?」  ライラさんの笑顔のおかげで少しだけ緊張が解れてきた。  ダイニングにはたくさんの料理が並んでいて、どれもとてもおいしそうだった。ジンはキッチンを行き来しながら皿を運んでいる。アーソさんはすでにテーブルに座っていて、僕の姿を確認すると立ち上がった。 「お久し振りです。アーソさん」 「やあ、アンドーくん。仕事のほうは?」 「順調です」  とりとめのない会話をしながら席に着く。ジンもライラさんも戻って来て食事がスタートした。  明らかにいつもより口数の少ない僕に気を使ってかジンが話題を振り、ライラさんが盛り上げてくれるがぎこちなく答えることしかできない。だんだんとふたりに申し訳なくなる。そのうち夕食も済み、女性陣がデザートとコーヒーの準備のためキッチンに入ると、アーソさんが「ちょっと」と僕をベランダへ誘った。  うわ、どうしよう。「君はジンに相応しくない」とか言われたら一生立ち直れないかも。  ダラダラと冷や汗をかきながら外へ出る。 「食事はどうだったかな?」 「……とてもおいしかったです」  嘘。ぜんぜん味がしなかった。折角作ってくれたのに。  しばらく沈黙が続くと、アーソさんが口を開いた。 「すまない、ジンはこういうことは初めてで……。君にどう接すればいいかわからなかったんだ」  余計な心配をかけてしまったねとアーソさんは恥ずかしそうに笑う。彼も緊張していただけみたいだ。僕もホッとして微笑む。 「ジンから君のことはよく聞いているよ。とても素敵な男性だってね。……私もそう思う。君が本当にジンを大事にしてくれているのが伝わってきたよ」  アーソさんはそう言って優しく肩を叩いてくれた。そんなこと言われるなんて夢みたいだ。  ふたりで戻ると、家の中は緊迫したような空気に包まれていた。 「あなた」  ライラさんが駆け寄る。 「今ニュースでテロがあったって。中東の紛争地域、ソウがいるところよ。行方不明者もいるみたいで……」  ソウ・ゲレラは熱心な活動家で雑誌やテレビでもよく紹介されていた。アーソさんの学生時代の友人でジンも小さい頃遊んでもらっていたらしい。現在は奥さんと一緒に紛争地域でのボランティア活動を行っているようだけど大丈夫だろうか。 「何ともないわよね……?」  ジンの不安気な声にアーソさんは少しだけ明るく答えた。 「心配するな。以前も同じようなことがあっただろう?すぐに見つかるよ」  アーソさんの声を聞きながら僕は目を閉じる。ソウ、砂漠、戦争……。前にもこんなことがあったような気がする。

帰りはアーソさんが車で送ってくれることになった。 「最近この辺りで放火事件も起きてるらしいからね。気をつけて」  ライラさんの言葉に頷きながら車に乗り込む。  頭の中ではさっきの話がぐるぐると回っている。僕はソウ・ゲレラが砂に飲み込まれる光景を確かに見た。でもどこで? 「気分悪いの?」  何もしゃべらない僕をジンは心配そうに覗き込む。彼女をこれ以上悲しませたくなくて僕は眠いだけだよと笑った。  頭痛がしてきて目を閉じるとフラッシュバックのように次々と見たことのない景色が浮かんできた。雨、谷間、妙な建物、火柱……。アーソさん? 「着いたよ」  はっと我に返る。もう家に到着したらしい。 「それじゃあふたりとも、おやすみ」 「おやすみ、パパ」 「あっ、ちょっと」  車内に戻ろうとするアーソさんの手を掴んで引き留める。怪訝そうな顔をされたけど、なんとなくこのまま彼を車に乗せてはいけないと思ったんだ。必死に言い訳を考えていると突然耳が痛くなるような音が響いた。  後方から車が突っ込んできたのだ。そのままアーソさんの車にぶつかり炎上する。衝撃で破片が飛び散り辺りに散乱した。 「パパ!大丈夫!?」  車の最も近くにいたアーソさんは破片のひとつが当たったらしく額から血が出ていた。ハンカチで傷口を押えながら彼は野次馬が集まり出した事故現場を見る。 「あのまま車に乗っていたらどうなってたか……」  アーソさんは僕の手を力強く握った。 「ありがとう。君は命の恩人だ」

突っ込んできたのはスピード違反の車だった。幸い運転手も無事で、死者もいなかったようだ。アーソさんの怪我もそこまでひどくないらしい。 「大変だったんだから!あのあと遅くまで事情聴取されるし」  ジンはぷりぷりと怒りながらシフォンケーキをがっつく。マスターはストレスの溜まっている彼女のために大きめにケーキを切ってくれたらしい。 「それは災難だったね」  カウンターに座っていたイムウェさんが労わるように優しく声をかけてくれた。  イムウェさんはマスターのカフェができて1ヵ月後くらいにふらりとこの町にやって来た。マスターの古い友人だって言ってたけどいろいろと謎の多い人だ。 「でもね、キャシアンがパパを止めてくれたおかげでかすり傷だけですんだの」 「へえ、車が見えていたのかい?」 「そういうわけじゃないけど」  なんとなく危険を感じたからとしか言いようがない。僕の歯切れの悪い答えにふたりはそれ以上何も言わなかった。  イムウェさんが店を出て、僕たちもそろそろ行こうと準備をしていると。 「キャプテン」  マスターに呼び止められた。 「ジン、少しだけ借りていいか?」 「ええ、もちろん」  先に戻ってるわねとジンは店をあとにする。  彼女を見送ると、マスターは真剣な顔で僕を見た。 「お前、なんでゲイレン・アーソが死ぬかもしれないってわかった?」  マスターの迫力に気圧されて思わず俯く。 「……信じてもらえないかもしれないけど急におかしな映像が頭の中に流れてきたんだ。爆発に巻き込まれてアーソさんが死んじゃうところ。それでアーソさんが車に戻ったら危ないって……」  最後は風船がしぼむみたいに声が小さくなっていった。マスターは僕の話を聞いてしばらく難しい顔で考え込んだ。 「キャプテン」  マスターが重々しく口を開く。 「お前は前世って信じるか?」

長い話になるとマスターはコーヒーを入れてくれた。その内容は本当に突拍子のないものだった。遠い銀河で?帝国?戦争?アーソさんが大量破壊兵器の開発者?レジスタン?パイロット?僕が兵士?設計図?それを盗み出して?しかも全滅?無茶苦茶だ。  僕は唖然とその話を聞いていた。本気なのか、マスター。作り話にしてはよくできてるけど。  僕のそんな態度に気づいたのか、マスターはむすっとした。 「信じてないだろ」  いや、急に言われてもこれだけのことを一度に信じられるわけない。 「とにかく、この一連の出来事に関係性があるならまた被害者が出る。ソウ・ゲレラだってまだ見つかってないんだろ?」  あのあとライラさんが大使館や外務省に連絡したみたいだがソウ・ゲレラは今だ行方知れずとのことだ。 「もし前世と同じように今の世界が進んでいるとしたらそのうち俺らやキャプテン、ジンにだって影響があるかもしれない」  それは駄目だ。彼女を危険な目に合わせたくはない。 「でも仮に前世と同じように何かが起きているとして、僕の両親やライラさんは今も元気だよ」 「そう。だからある程度未来は変えられるってことだ」  取り敢えず、時間軸を整理しようということになった。 「ボーディーは俺たちより前に死んでいる。……この目で見た」 「僕は……、あんまり思い出せないや。でも砂浜で白い光に包まれる夢を見たよ」  ふたりの話を擦り合わせながら空白の記憶を埋めていく。結果、次に標的となるのはボーディーか僕たちの大事な家族である黒猫のKだろうとなった。 「Kも僕たちの仲間だったの?猫なのに?」 「前は猫じゃなかったんだよ。それに大活躍だったんだぞ」  マスターはちょっとだけ寂しそうな顔をした。 「あともうひとり気になる奴がいて確かゲイレン・アーソの同僚だった。名前はク……、何だったか」 「オーソンさんかな。オーソン・クレニック」  オーソンさんもアーソさんの学校の友達で、今は大手メーカーの部長を務めている。僕も一度だけ会ったことがあるんだけどすっごく優秀で頭もよくてハンサムで人格者で、奥さんとふたりの子供がいる。なぜ僕がこんなに詳しいかというとジンが嬉しそうにオーソンさんの話を聞かせてくれたからだ。彼はジンの初恋の相手で、そこだけは許せないところだ。前に大きなプロジェクトを任されたオーソンさんはネットニュースに取り上げられていて写真もアップされていた。マスターに見せてみたが前世での面識はないと言う。 「でももしこいつも関係者なら監視しないとな」  聞けば前世のオーソンさんが元凶だったとか。今のオーソンさんからはまったく想像がつかない。いいパパさんだし。  今後の対応を話し合って僕たちは解散した。  家に帰るとKを抱いたジンが迎えてくれる。 「お帰りなさい」  この幸せを守るために僕がしっかりしなきゃ。

といってもあれから特に何も起きなかったし進展もなかった。ソウ・ゲレラの行方はまだわかっていない。大学院に通うボーディからアーソさんの様子も聞いてみたけど怪我も治ってきていて元気そうだと言っていた。ボーディ自身の問題もなし。オーソンさんについてそれとなくジンに尋ねても変わったことはないらしい。 「下の子がもうすぐ中学校に上がるんだって。あとまた何か大きな仕事を任されたみたい」 「へえ」  むしろ調子がよさそうだ。  Kは外に出ないよう徹底的に戸締りをした。彼は不満そうに鼻を鳴らしたけど仕方ない。これも君のためなんだ。 「状況変わらず、か」  マスターとは頻繁に会って情報を交換していた。今のところイムウェさんも無事みたいだ。 「マスターは前世のこと誰にも言ったことないの?」 「ガキの頃はこれが普通だと思って触れ回ってたけどな。揶揄われて以来話したことはない。俺以外で覚えていたのはキャプテンだけだ」  僕は少しだけ驚いた。 「イムウェさんには話してると思った」  マスターは首を振る。 「お前だってジンに言えるのか?」  僕も、多分言えない。戦争の犠牲になったなんて惨いこと言えるわけない。 「……僕がジンを好きなのは前世のことがあるからなのかな」  マスターはぼそりと呟いた。 「さあな」

家に帰るといつもとことことやって来るKの姿が見えない。おかしな。 「K―?」  部屋は静かだった。不気味なほどに。 「……K?」  リビングのブラインドに。何かがぶら下がってる。黒い何かが。 「K!」  Kはブラインドの紐が首にかかった状態で宙吊りになっていた。急いで紐を外すと彼はすでにぐったりとしていた。 「K!しっかりしてよ!起きてよ!!」  医者に見せなければ。Kを抱えてひたすら走る。途中何度か足がもつれて転びそうになった。  どうしよう、どうしよう!Kが死んじゃったら僕は……。  かかりつけの動物病院に飛び込んだ。僕の必死の形相に受付の人や待合室にいた飼い主さんたちは驚いていたがそれどころじゃない。 「K、猫が、息してないんです!助けてください!」  Kはすぐに診察室に運び込まれる。幸い発見が早くて大事には至らなかった。  ようやく落ち着きを取り戻した僕に先生は声をかけてくれた。 「こういう事故は小さな人間の子にも起こるんです。注意してあげてくださいね」  驚いたでしょうと背中を優しく擦ってくれ、思わず涙ぐむ。  眠ってしまったKを抱いて家に戻るとジンが帰ってきていた。不安そうに駆け寄って来た彼女に事の経緯を話す。 「そう。ごめんなさい。私も気をつけるわ」 「ううん。僕も知らなかったから」  ふたりで家中のブラインドの紐を短く結ぶ。作業が終わるとどっと疲れに襲われて、ソファに倒れ込んだ。  取り敢えず明日、マスターに今日のことを報告しなくちゃ……。

翌日はまったく仕事に身が入らなかった。Kはペットシッターに見てもらっているからひとまず安心だけど。 ひどい後悔に苛まれる。今回はうまく食い止められなかった。危機を知っていたのに何もできなかった。苦い感情が思考を乱す。 でもうじうじしても仕方がないか。やれることをやるだけだ。

昼休みに携帯電話を確認するとボーディからの着信があった。昨日の今日でドキッとした僕は慌ててかけ直す。電話はすぐに繋がった。 「……もしもし?」 「ああキャシー。ごめんな、急に電話して」  ちゃんとボーディの声だ。よかった、何ともないみたいで。 「大丈夫。どうしたの?」 「大したことじゃないけどさ、今日から学会で出張に行くからお土産何がいいかなって」  なんだ、そんなことか。脱力すると同時に彼の優しさに顔が綻ぶ。 「なんでもいいよ。ボーディに任せる」 「えー?でも俺センスないからなあ。この間もジンに怒られたし」  ふたりで笑っていると突然頭の中にビジョンが浮かび上がる。海、砂浜、空飛ぶ船……。『お前は留守を頼む』 「……それって何で行くの?」 「え?飛行機だけど。今搭乗口でもうすぐ出発する」  駄目だ。それに乗っちゃ駄目だ。ボーディが死んじゃう! 「ボーディ!今すぐ飛行機から離れろ!」 「はあ?なんで……」 「いいから早く!」 「離れろって言われても、あ」  突然電話が切れた。かけ直してみるが機械音が聞こえるだけだ。そのうちオフィスが騒がしくなった。皆壁に掛けられたテレビを一様に眺めている。 ――空港でトラブル。航空機炎上か?  真っ赤なテロップが僕の努力を嘲笑うかのように流れていた。

マスターには何もかも話した。彼は神妙な顔で頷く。 「次は俺たちの番だな」  その言葉がなぜか耳に残った。

「エンジントラブルだったんだって」  ボーディは口を尖らせる。 「参ったよ。大事な発表があったのに」  病院の白いベッドの上で彼は不満を漏らした。飛行機の外にいて軽度の火傷ですんだが、念のため2、3日入院することになった。事故も離陸前のことだったからか奇跡的に死者はいなかった。 「キャシーの電話で出てたから助かったよ。でもなんで危ないってわかったの?予知能力?」 「……たまたまだよ。最近は物騒だから」  そうとしか答えられなかった。  病院を出てカフェに向かう。順番で言えば次はマスターたちが危険に晒される。何とかしなきゃ。  でもなぜかマスターは落ち着いていた。落ち着き過ぎているくらいに。 「これが悟りの境地ってやつかな」  彼はそう言って笑った。 「この間前世のことがあるから好きになったんじゃないかって言ってたろ?」  記憶を手繰り寄せる。マスターは穏やかな声で言った。 「お前らふたりを見てるとそんなことないんじゃないかと思ってな。少なくとも俺は、そんな理由であいつを好きになっていない」  マスターは低く響く声で語りかけてくる。その声を聞くと心の小波が静まっていく。 「チアルートに全部話す」  マスターの決意は固かった。  それぞれの役割を確認し外に出る。風が冷たくて、さっきまであんなに静かだった胸の中がざわざわとした。  Kを見てくれたペットシッターに礼を言い家に上がる。ジンからは買い物に行くので遅くなるという連絡があった。いつもと違う僕の様子に気づいたらしく擦り寄って来たKを撫でる。  大丈夫。マスターは頼りになる人だ。悪いことなんて起きないさ。  電話が鳴る。受話器越しに今にも泣きそうなジンの声が聞こえた。 「今、カフェの近くで、放火があって、飲食店だから、ガス爆発を起こしたみたいで、店が、どうしよう、私どうしたら……」  いちばん恐れていたことが起こった。

病院の白は目に刺さる。  マスターは包帯でぐるぐる巻きにされた痛々しい姿でベッドに横たわっていた。  閉店間近だったということで当時店には客はおらず、帰る準備をしていたマスターとそれを待っていたイムウェさんが爆発に巻き込まれた。放火犯はその場で捕まり、イムウェさんは腕のかすり傷ですんだけど、彼を庇ったマスターは爆風をもろに受けて意識不明の重体だった。  ジンは始めパニックになっていたけど、今は落ち着きを取り戻してベンチで休んでいる。僕とイムウェさんは病室でこんこんと眠るマスターを何も言わずに見つめていた。 「私はね、自分をもっと冷静な人間だと思っていたよ」  イムウェさんの笑顔には悲しみが滲んでいて、見てられなかった。 「ベイズが傷ついたことにこんなに動揺すなんて」  そう言ってマスターの頬をゆっくりと撫でる。その動作には慈しみと愛しさが込められていて、僕はマスターが早く目を覚ますようにと改めて祈った。 「彼が気を失う寸前私に言ったんだ。『よかった。今度はちゃんと守れた』って」  イムウェさんの青い瞳が僕を射抜く。 「君は、この言葉の意味を知っているんだろう?」 「……はい」  もちろん。 「でも、僕からは言えません」  それは多分、マスターからでなければ意味がない。 「ただひとつ言えるとしたらマスターはあなたのことが本当に大切で、あなたのことを守りたかったんだと思います」  イムウェさんはふうと息を吐いた。 「わかった、何も聞かないよ。ベイズのことは私に任せてくれ。君にも守りたい人がいるんだろう?」  僕は大きく頷く。  そうだ。残りは僕を合わせて3人。マスターは今動けない。頼りになるのは自分だけだ。

近くのビーチでイルミネーションのショーがあるらしい。海岸沿いに電飾を敷いて波打ち際を照らすもので、前に言っていたオーソンさんが関わっている大きな仕事とはこれのことだった。ここのところ暗いニュースばかりで気落ちした僕を励まそうとジンが誘ってくれた。  海に光にジン。何かあるとしたらこのときだろう。  ビーチにはたくさんの人が集まっていた。オーソンさんの家族も来ていてジンが挨拶をするため駆けていく。僕は黒い海を眺めながらここ数日のことを考えていた。  マスターの言う通り未来は変えることができる。でも、それにはいつも少しだけ犠牲が必要なんだ。前世の僕たちの命が世界を救ったように。 「オーソンさんも来てるんだって。あそこ、海のほう」  ジンの明るい声に僕は微笑む。彼女に飲み物を買ってきてほしいと頼んで、僕はオーソンに近づいた。 「ああアンドーくん、だったかな?」  彼は覚えてくれていた。 「ご家族の方が呼んでますよ」  オーソンさんが海から離れていく。歓声が上がった。点灯したみたいだ。  ジンと合流してふたりで鮮やかに彩られた海を見つめる。ジンの瞳の中に色とりどりの光が映っていて、とっても綺麗で、僕は――。 「ジン」  彼女を押しやり海に向かって一歩出る。 「愛してるよ」  ずっと昔から。  白い光が僕を包んだ。

白い光がすべてを焼き尽くしながら迫ってくる。  抱きしめた小さな体は震えていて、俺は彼女のために安らかな死を祈った。  もっと、君のこと知りたかった。もしまた会えるなら、今度は血も爆撃も戦争もないところで、君と一緒の未来を描きたい。

意識は覚醒したけど起きたくなくてダラダラとベッドの上で転がる。痛みはないけど体が重くてたまらない。 「起きた?」  隣から柔らかい声が聞こえる。 「おはよう」  おはよう、ジン。もう泣かないで。  目が覚めて、僕はいろんな人からもみくちゃにされた。遠路はるばるお見舞いに来てくれた両親にはこっぴどく叱られ、アーソ夫妻には心配をかけてしまい、イムウェさんはなぜか大量の怪しいお札を置いていき、ボーディは鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔になってやって来て、病室でも号泣された。  オーソンさんも来てくれた。家族も無事だったらしい。事故は海水に浸かってしまった電飾が原因だった。怪我らしい怪我をしたのは僕だけで、オーソンさんは謝ってくれたけど逆に恥ずかしいやら申し訳ないやら。想定外の高波などいろいろな要因が重なって起こってしまった事故なので、彼ひとりの責任になることはないそうだ。よかった。  そこからは何もかもがうまくいきだした。ソウ・ゲレラと彼の奥さんは僕が眠っている間に見つかったらしくジンが嬉しそうに報告してくれた。今度僕にも会いたいと言っていたそうだ。  マスターは僕が退院した直後に目を覚ました。ジンとふたりでお見舞いに行くと当然のようにイムウェさんがいた。 「あのお札が効いたのかな」  イムウェさんは得意気だったけど多分現代医療のおかげです。彼は何も言わなかったけどマスターのすっきりとした顔を見ると、どうやらすべて話したみたいだ。  ジンは花瓶の水を換えに行き、イムウェさんはまた明日と帰っていった。病室には僕とマスターだけが残される。 「キャプテン」  マスターの大きくて温かい手が僕の頭を撫でる。 「よく頑張ったな」  その低くて甘い声を聞くと涙が溢れてきて、僕は年甲斐もなく泣きじゃくった。マスターは何も言わず頭を撫で続けてくれ、戻って来たジンも驚いていたが優しく背中を擦ってくれた。

「あなたって本当に危なっかしわね」  我が家のソファでテレビを見ていると突然ジンが僕を非難した。それに便乗するように彼女の腕に抱かれていたKも尻尾でバシバシと僕を叩く。 「そうかな?」 「そうよ。だからチアルートとも話してたの。勝手にどっか行かないようにずっと見張ってなきゃねって」  それってつまり。 「……そういうのって普通僕から言うものじゃないの?」 「どっちでもいいじゃない」  ニヤッと笑って僕のほうへ倒れ込んでくる彼女を支えながら、僕は静かに胸の中で語りかける。  ねえ、前世の僕。前の世界ではいっぱいつらいことがあったかもしれないけど、安心してほしい。今の僕は血も爆撃も戦争もないところで大好きな人と幸せに生きてるよ。