学生時代のオットーとノーマン。

二十五歳を過ぎたあたりから、ノーマンの髪は暗い色を帯びるようになっていった。もとの輝くような金髪に茶色が混ざり、錆びた鉄の色になった。オットーは口にこそ出さなかったが、少しだけ残念に思った。あの太陽のように眩しい金の髪を見ることができないなんて。  しかし、当の本人はまったく気にした様子はなかった。 「ベビーちゃんって言われるのがいやだったんだ」  ノーマンはそう言って笑った。通常、金髪は年を取るにつれてより濃い色に変化していく。だから金髪を持って生まれた子供の多くは、十代になる頃には茶色か黒の髪を持つようになるのだ。  二十を過ぎても金髪だったノーマンは周りからさぞからかわれただろう。加えて、彼は小柄で華奢な体格だった。子供と言われるのも無理はない。  オットーとふたりで歩いていると、兄弟か、ひどいときは親子のようだと笑われた。  しかし、彼らは知らない。しなやかで牝鹿のような体躯の中に、肉食獣のような激しさを隠し持っていることに。  ノーマンは自分をからかう連中を見ると、睨みつけるか、虫の居所がわるいときは食ってかかった。 「何見てるんだよ」  線の細い見た目からは想像もつかないような低い声に、大抵の人間はたじろぎ、離れていく。しかし、まれになおもノーマンへちょっかいをかける輩が存在した。彼らはノーマンの怒りをむしろおもしろがり、馴れ馴れしく近づいてくる。 「僕に触るな!」  そして、すべてが無茶苦茶になる。カッとなると周りが見えなくなるのは、ノーマンの悪い癖だった。身体能力の高い彼は、そこそこのダメージを相手に与えることができた。それもよくなかった。 「落ち着いてノーマン!」  ノーマンを止めるのは大概オットーの役目だった。大柄な彼に抱えあげられると、体格の差から、さすがのノーマンも簡単には抜け出せなかった。 「離せよ、あいつらが先にじろじろ見てきたんだ!」 「でも最初に手を出したのは君だろ?」  こうしてすごすごとその場から立ち去った。これは彼らにとってごく日常的なことだった。

あれからノーマンの髪は銅色になり、白い肌とのコントラストが目立つようになった。彼が髪を掻き上げる仕草をすると、決まって何人かの女の子たちが振り返る。ノーマンは美しい男ではあったが、この頃の彼は、自分が周りに及ぼす影響をうまくコントロールできないように見えた。 「さっき手を振ってた子は?」 「ビアンカだよ」 「一緒にいなくていいの? 彼女、恋人だって……」 「先週別れた」  グラスを置き、ノーマンはにいっと口角を上げた。 「彼女とは円満に別れることができたからね」  ノーマンが別れた恋人は、今年に入って三人目だった。ようやく夏の気配を感じ始めたばかりだというのに。  大概は平和に終わるが、そうではないときもある。恐らく、原因はノーマンだ。こんなに気難しい人間と付き合えるのは、自分くらいだろうとオットーは思っている。 「そういう君だって頑固じゃないか。この間も一年上の研究生とやりあったんだろう?」 「あれは……、あっちが話を聞きもしないで僕が間違っていると決めつけてくるから」 「だからって上級生に楯突くか? ロージーの苦労が伺えるな」  二年前から付き合っているロージーは、確かに穏やかでユーモアがあり、人見知りで口数の少ないオットーとは正反対の人物である。しかし、ひとたび口を開けば、理路整然とした言葉を紡ぎ、柔らかな声の中に確かな意思の強さを織り交ぜて、相手に畳みかける。理論は横の糸であり、美しい声は縦の糸である。そうして彼女は、自らの主張という布を織る。  しかも、ときとしてロージーはオットー以上に頑固だった。他者の声を聞く柔軟性を持ちながら、自分の意思は絶対に曲げない。だからこそ、彼らはお互いを刺激し合いながら、うまく日々を過ごしているのだと思う。  ロージーはノーマンを「ハチドリ」と呼んでいた。 「お前は小さいって暗に言ってるわけだ」 「それもあるけどね」  彼女は笑った。 「ミドリハチドリって知ってる? 青緑の羽を持っているの。あなたの目と同じ色」  彼女の長い指が、銅色の髪を掻き分ける。 「それにハチドリはメディスンカードで『喜び』の意味を持ってる」 「メディスンカードって?」 「動物占いやったことないの?」  オットーは後日、図鑑でハチドリを調べてみた。確かに、花々の間を忙しなく飛び回るさまは、くるくると表情を変えて落ち着きのないノーマンにぴったりかもしれない。  ノーマンはこの不思議な呼び名を受け入れた。悪意や揶揄を持ってロージーがそれを口にしていないと感じ取ったのだろう。彼女は誕生日にエミリ・ディキンスンの詩集をプレゼントした。そこにはハチドリの詩があった。  とはいえ、オットーはノーマンをハチドリなどとは思っていない。彼は鳥に例えるなら鷹だ。俊敏に獲物を狙う鷹。獰猛だが、優雅で美しく、ひとを惹きつけてやまない。  ノーマンもそんな男だった。金髪のお嬢さんとからかわれることはなくなったが、代わりに銅色の髪をうしろに撫でつけた物憂げな瞳の青年に、みんなの視線が集まっている。 「さっきの男、やたら君に近づいてこなかった?」 「いいんだよ。無視すれば通り過ぎてくれるから」  ノーマンは笑ってやり過ごすことを覚えた。体に触られても、不躾な視線を投げかけられても、以前のように激高して殴りかかるようなことはしない。それがオットーの心に影を落とす。 「もう出よう」  ノーマンの返事を待たず、彼の手を引いてオットーは店の外に出た。  蒸し暑い夜だった。もう夏はそこまで来ている。 「今度うちに遊びにおいでよ」 「君たちふたりの愛の巣に? なんだか悪いな」 「いいんだ。お客さんが来たほうがロージーも喜ぶ。君の新しい恋人を連れてきてもいいし、カートも呼ぼう」 「カートは彼女と別れたばかりだから、君らを見て拗ねるんじゃないか?」  そう言ってノーマンは笑った。そんな彼が離れてしまわないよう、オットーは手に力を込める。