アトランナ様処刑後の地獄。オーバックス王×参謀っぽい。

バルコは騎獣を走らせ、城へ向かっていた。時折うしろを振り返りながら、遅れている者がいないか確認する。バルコを含め、七人の隊列は、一糸乱れぬ動きで水中を進んでいく。  バルコの騎獣であるシュモクザメは、主人に忠実だった。手綱の動きに、おもしろいほどよく反応してくれる。しかし、無理は禁物だ。バルコははやる気持ちを抑え、隊員と騎獣たちを気にしながら、城へと急ぐ。  遠征を命じられたバルコが、六人の部下たちと城を出たのは、三十日も前のことだった。これほど長く城を空けたことは初めてだ。オームは元気だろうか。アトランナとオーバックスはまた言い争いをしてないだろうか。参謀として、誰よりも女王一家のそばにいる彼の心配は尽きない。部下たちは、そんなバルコを笑っていた。  異変に気づいたのは、城の中に入ってからだった。 「バルコ殿」 「ああ」  不安げな部下に向かって頷き、バルコはあたりを見渡した。  静かすぎる。  普段であれば、多くのひとが行き交う広場にも、二、三人の兵がぽつぽつと立っているだけだ。何より、彼らの目つきが異様だった。みな何かを恐れているような、そんな目をしている。  部下たちに持ち場へ戻るよう命じ、バルコは女王たちを探し始めた。普段であれば、バルコが帰ってきたと知った幼い王子が駆けてきて、土産話をせがんでくる。そのうしろから女王が駆け寄り、バルコの無事を心から祝福してくれる。最後に王がやって来て、普段緩衝材となってくれる参謀がいなくてどれだけ大変だったかとやや大げさに、しかしどこか楽しそうに聞かせてくれるだろう。今夜もそうなるはずだった。  城を泳ぎ回っていると、兵士のひとりがバルコに近づいてきた。 「王がお呼びです」  有無を言わせぬような兵士の言葉に、バルコは素直に従った。疑問は泡のように湧いてきたが、ここで聞いても成果を得られそうにないと判断したからだ。  城で最も豪奢な部屋のひとつである執務室に、オーバックス王はいた。彼はバルコの姿を見ると、いつもと同じ柔和な笑みを浮かべる。 「ご苦労だった。道中何もなかった?」 「ご心配いただきありがとうございます、陛下。特に変わらず、無事に戻って参りました」  ふたりの間に沈黙が落ちる。先に口を開いたのはバルコだった。 「女王とオーム様は?」  王は答えず、じっと掌を見つめている。 「地上の惨状はひどいものだな、バルコ。ごみを投げ入れ、汚物を垂れ流している」 「そう、聞いております」 「低能な地上人共は、この世界が自分たちのものだと勘違いしているんだ」  バルコはかさついた唇を舐めた。喉がからからに乾いていた。背中にじっとりと汗が滲む。 「バルコ」  王は笑いながら手招く。 「もっとこちらへ」  バルコは体の震えを悟られないよう、拳を握りしめた。 「女王とオーム様は、どちらにいらっしゃるのですか」  立場上、ひとの心を見抜く自信はあった。しかし、王の目には何も見えない。そこは何も映していない。 「息子は親類のところに預けた。ここにはいない」  バルコは僅かに緊張を解いた。どうやら、幼い王子は無事らしい。 「アトランナも、ここにはいない。もうどこにも」  一瞬の安堵も束の間、今度は奈落の底へと突き落とされる。 「どういう、ことでしょうか」 「お前はあれが地上人との子を成していたと知っていたか」  バルコは息を飲んだ。地上に残してきた子。一度だけ、女王から聞いたことがあった。 「知らなかったとは言わせぬ。お前は私以上にアトランナのことを知っているはずだ」  王はバルコの髪を掴み、無理矢理上に向かせた。結んでいた髪が乱れ、はらはらと顔に落ちてくる。 「アトランナ、様は」 「海溝に沈めた。不貞の妻でも、化け物共を慰める生贄くらいにはなるだろう」  かっと頭に血が昇った。バルコは王の手を振りほどくと、腰の短刀に手をかけた。だが、それだけだった。 「かわいそうに」  王の声は優しく、その目はバルコを心底哀れんでいると言っていた。 「かわいそうな男だ。なまじ頭が回るからよくない。お前は私を殺したいはずだ。だができない。お前はこう考えている。私を殺しても、お前は外の警備兵に捕らえられ、罪人として処刑される。万が一逃げおおせたとして、もうここには戻ってこれまい。そうなったら、地上の子はどうなる? オームはどうなる? 女王が愛したアトランティスはどうなる? だからお前は私を殺せない。憎くてたまらないのに、剣を振り下ろすことはできない」  王に頬を張られ、バルコは思わず膝を折った。まったく彼の言うとおりだった。 「お前にも責めを受けてもらう。ああ、剣を向けようとしたことは関係ない。黙っていたこともな。ただ、アトランナが不義を働いた以上、お前にも罪はある」  黙ったままのバルコを見て、王は鼻を鳴らした。 「お前が何者なのか、知らないとでも思っていたか。それともアトランナの血を引く地上の子やオームに罰を与えようか」 「そこまで知っていて、どうして、こんな」 「さあな、お前のその顔が見たかったのかもしれない」  王は冷たく言い放った。 「服を脱げ」  バルコはのろのろと立ち上がり、服を脱いでいく。 「来い」  言われるまま王のそばまで来ると、彼はバルコの髪留めを外し、落ちてきた長い髪を掴むと、ぐっと握りつぶした。 「そうだ、お前にはオームの世話係を外れてもらうことになった。これからは私のそばにつけ。アトランナがいない分、お前も忙しくなるからな」  王は気づいているだろうか。彼が「アトランナ」と呼ぶたびに、瞳の奥が微かに揺れる。 「それでいいな」  肌に触れる体温を感じながら、バルコは薄く笑った。 「もちろん、陛下」  だがその瞳は、すでに王を見ていない。バルコは次の策へと頭を巡らせている。それが今できる唯一の抵抗であり、生きる理由だった。