マカジャマ。香水の話。

「臭い」  部屋に入ってきたマーカスを見るなり、依頼人は顔を顰めた。 「なんだこの匂いは」 「ああ、これか」  マーカスはスーツに鼻を近づけた。 「ちょっと仕事でね。大したことはない」  本当に、大したことではない。仕事の関係で香水をかけた。普段、香りの強いものなどとは縁のないマーカスにとって、それは新鮮な体験だった。自分から立ち上る体臭とは思えなかった。  依頼人は立ち上がり、無言でマーカスから上着を引ったくる。 「今すぐ風呂に入れ。臭くて敵わん」 「今から?」 「じゃなきゃ家に入るな」 「いくらなんでも横暴すぎないか」  文句を言いつつも、家主の命令には従わざるを得ない。  シャワーを浴び、バスタオルを腰に巻いて部屋を見渡すと、スーツ一式がなくなっていた。 「スーツは?」 「クリーニングに出した」  本を読んでいた依頼人は、めんどくさそうに振り返りながら答える。 「スーツがないのにどうやって帰ればいい」 「泊まればいいだろ」 「そうやって君はなんでも自分の思い通りになると思っているわけだ」 「そのとおりだ」  マーカスは頭を乱暴に掻いた。ぱらぱらと乾ききれなかった水滴が床に落ちる。家主がああ言っているんだし、何をやっても文句は言われまい。  バスローブを着て、依頼主が広げていた酒を勝手に拝借し、ソファに寝そべって何か話した、ところまでは覚えている。 「おい」  依頼主の声でマーカスは目を覚ました。気がつけば、窓からは明るい陽の光が差し込んでいる。 「スーツが返ってきたぞ」 「クリーニングから?」  シャツと合わせて、匂いも綺麗に落ちている。 「泊めてくれた礼に朝食でも作ろうか」 「いい。どうせあのまずいジュースだろ」  とっと行けというジェスチャーを受け、マーカスは帰る支度を始めた。それを眺めがなら、依頼人は口を開いた。 「今日は仕事か?」 「いや、しばらくオフだ」 「そうか」  突然、何か水滴のようなものが振りかけられた。それに驚いていると、強い力で引き寄せられる。  首筋に吐息が当たった。  ふっと力が緩み、顔を上げると、依頼人はいつもの人の悪い笑みを浮かべる。 「こっちのほうがよっぽどいい」  マーカスはスーツに鼻を近づけた。それは紛れもなく、依頼人がいつもつけている香水の香りだった。