チアベイ転生パロ。

「いいなあ」  病室に備え付けられたテレビを見ながらチアルートが呟く。画面の中にはプール付きのゴージャスな一戸建て。  マジか、チアルート・イムウェ。お前あんなところに住みたいのか。  チアルートがこの町に来て、一緒に暮らし始めて半年近く。狭いアパート暮らしも限界だろう。そろそろこんなダラダラした関係にけじめをつけるべきなのかもしれない。

数週間前、放火事件に巻き込まれた俺の店はほぼ全焼、チアルートも怪我を負った。俺もしばらく入院してたが大したことはない。それよりも金が心配だった。いくら保険が下りるとはいえ微々たるもの。店の修繕に治療費、出費が嵩んでいる。休んでいる暇はない。担当医には渋い顔をされたが意識が戻ってすぐに病院を出た。医者はいつも大げさだ。  とは言っても肝心の店がない。久しぶりの我が家に帰ると俺は早速ソファに体を預けて求人雑誌をめくった。 「もう働くつもりかい?」  隣に座ったチアルートが心配そうに覗き込んでくる。奴の体温が伝わってきて心地がいい。俺は不安気なチアルートにできるだけ明るく答えた。 「大丈夫だろ」 体の頑丈さだけは自信がある。  世話になっている小売店が店員を募集していた。オーナーに頼んで俺の店が直るまでの間だけ雇ってもらうことになった。 「でも動いて大丈夫なのか?」  オーナーも心配してたが問題ないと笑う。彼もそれを聞いて安心したようだ。昼は裁判やら修理やらの手続きがある。時給の高い早朝と深夜にシフトを入れた。

割と昼に時間のある俺とは違って、チアルートは日中コミュニティーセンターで得意の拳法を教えたり日雇いの仕事をしている。完全に生活リズムがズレてしまった俺たちは一緒に過ごす時間が減ってきていた。 「寂しいよ」  久しぶりに会ったチアルートはびっくりする程弱々しく言った。珍しくしおれた様子に少し胸が痛む。 「店が直るまでの間だけだ」  チアルートが凭れかかってきた。使い込んだソファは俺たちの体格をすっかり覚え重く沈んでいる。あちこち破けてきているから買い替えたいと常日頃思っていた。 「会えないのもつらいけれど、私は君の体が心配だよ」  肩に乗せられた頭を優しく撫でる。  そうは言っても体を気にしている余裕はない。  チアルートはトレーナーやマッサージ師の仕事がしたいと言って、勉強したり情報を集めていた。俺も好きなことをやってほしい。折角平和な時代に生まれたのだから金なんて気にせずなんでも思いっ切りさせたいし不自由な思いはしてほしくない。プール付きの大豪邸は難しいかもしれないが、小さくてもせめて俺たちが死ぬまで暮らせるようなバリアフリーの一戸建ては建てたいと考えている。  そのためには金だ。とにかく店の修理費だけでも早く稼がなくちゃならない。

生活リズムの違いから起きているチアルートになかなか会えないのは残念だが、ひとつだけ好都合なことがある。  深夜の仕事を終え家に帰ると、俺はそっと寝室に入った。ナップベンチに布団を敷いただけの即席ベッドでチアルートは眠っていた。近づいても起きる気配はない。これなら大丈夫だろう。  ポケットから糸とペンを取り出しチアルートの薬指に巻き付ける。糸が重なった部分にペンで印をつけ、素早く寝室から退散した。  指輪のサイズはこれでバッチリだ。時間があるときに注文しよう。ごたごたが片付いたら思いを伝える。そのときに指輪も一緒に渡すつもりだ。

最初におかしいと感じたのは従業員用のロッカールームで。早朝のシフトで制服に着替えていると突然立眩みがした。 (風邪か?)  風邪なんて十数年ぶりにひいた。どうせすぐに治るだろう。俺はさして気にも留めず仕事に移った。 だが次第に体が重くなり、昼頃からは頭も痛み出した。どうにか朝の仕事を終え、誰かにうつすとまずいと考えた俺はとりあえず近所のドラックストアで風邪薬を購入する。無駄な出費になってしまった。 「あら、マスター」  一旦家に戻る途中でジンに会った。病院での見舞い以来だが元気そうでよかった。 「店は大丈夫?」 「ああ、もうすぐだと。早くジンたちにケーキを食わせてやりたいよ」  ジンは笑っていたが急に真剣な顔になった。 「マスター、本当に大丈夫?顔色が悪いみたいだけど」  ただの風邪だと笑ってもジンはどこか腑に落ちない様子だったが、お大事にと言って別れた。ジュエリーショップに寄るつもりだったが体調を考えると早く帰ったほうがよさそうだ。指輪はまたの機会にしよう。  家に着くと買ってきた薬を飲み、夕食をさっと作って溜まった書類の束を整理していく。目が翳んで文字がよく見えず、滅多に掛けない眼鏡を取り出すが改善する兆しはない。そうしている間に夜のシフトの時間が近づいてきた。  頭痛はどんどんひどくなっている。薬が効き目はまだ出ない。咳がないのは幸いだが意識がぼんやりとしてきて仕事に集中できなかった。正直記憶も曖昧だが、なんとか今日の分の業務を終え帰路につく。  すでに明かりは消えていた。チアルートはもう眠ってしまったらしい。起こさないよう静かに中に入りそのままソファに身を沈める。  体の中は燃えるように熱いのに寒くて堪らない。疲労感がどっと押し寄せてくるが頭が痛くて眠れる気がしない。しかし体は鉛のように重く動けない。  疲れた。やることはたくさんあるが少し休もう。ほんの10分だ。すぐに起きれば問題ない……。

ソファでないことはすぐにわかった。どうやら寝室まで運んでくれたらしい。気怠さは抜けないが頭痛は少しだけマシになっていた。 「起きたかな?」  チアルートがコップを持って入ってきた。 「水だよ。喉が乾いているだろう」  コップを受け取り一気に飲み干す。途中で咽てしまい咳き込むとチアルートが背中を擦ってくれた。 「今何時だ?」 「12時だよ、昼のね」  嘘だろ。始業時間はとうに過ぎている。 「君の雇い先には連絡しといたよ。しっかり休むようにって」  優しいオーナーだねとチアルートは微笑む。 「朝起きたら君がソファに倒れていたからびっくりしたよ」  そう言って俺の額に手をやる。チアルートの手は骨張っていてひんやりして気持ちよかった。 「熱はまだ高いね。もう少し眠るといい。何か欲しいものは?」  俺は首を振ってチアルートの袖を掴む。欲しいものはないがやってほしいことならなる。 「今日仕事は?」 「ないよ。お休みを貰った」 「じゃあここに、いて、……くれない、か?」  言って少しだけ後悔した。恥ずかしいし気持ち悪いと思われるかもしれない。でも今だけ、今だけはひとりになりたくない。  チアルートは目を見開いたがすぐに嬉しそうに破顔した。 「よしよし。今日は甘えん坊さんだな」 「……うるせぇ」 「ふふ、素直じゃないね」  チアルートの大きな手が頭を撫でる。子供の、いやもっと昔に戻ったみたいで懐かしさが込み上げてきた。俺は安心して目を閉じ、微睡の中へ落ちていく。

風邪はすっかり治ったが、家の外には出してもらえなかった。 「君はすぐに無理をするからね」  チアルートは甲斐甲斐しく世話をしてくれた。なぜか楽しそうだったけど。  俺が軟禁されている間に店も元に戻りつつあった。来月には再開できるだろう。  完治して一週間後、ようやく外出許可が出た。チアルートは俺を町へ誘う。 「指輪を買いに行こう」  どうやら俺の魂胆はすべてお見通しだったらしい。まったくこいつには敵わない。昔も今も。 「店員さんに言うんだ。『結婚指輪です』ってね。皆に幸せを見せつけてやろう」  チアルートがいたずらっぽく笑う。こいつはどうして恥ずかしげもなくそんなことを言えるんだ。顔を熱くなるのを感じているとチアルートはまたからかってきた。  相変わらず楽な生活とは言い難い。カフェの客も取り戻さなくちゃならないしボロアパート生活も暫く続くだろう。でも、いいか。お前といればどんなところでも幸せになれる気がするよ。