というか以刃制毒? 本編後のテンリングスさん。
不満がまったくなかった、と言えば噓になる。 例えば、シャーリンは食事を書斎で、しかもひとりで取る。あまり食堂にも姿を現さない。 ウェンウーは月に一度、部下たちを集め酒や料理を振る舞ってくれた。どれも味がよく、その上自分では手が出せないほど金のかかったものだった。単に大勢で集まるのが苦手なだけかもしれないが、あの催事がないのは、少し寂しい。 シャーリンはマカオにいた自分の部下を何人か呼び寄せたが、そのうちのひとりにひどく嫌われてしまっている。赤い髪のそいつは、レーザー・フィストを見て開口一番こう言った。 「こいつクビにしましょう」 「なぜ?」 シャーリンは首を傾げ、微笑んだ。 「俺たちのビルを襲ったやつだ」 「そうね。でも今は仲間」 「あのあとどれだけ大変だったか知ってるんですか!? 客たちに謝りに行ったり金を返して回ったり怪我人の救護、ビルの修繕その他諸々。ボスとは連絡取れないし! 絶対絶対いやだ! こいつと組むくらいなら死ぬ! ここから飛び降りてやる!!」 結局赤髪の男は飛び降りなかったが、それ以来何かと目の敵にされる。 あとは、壁の画。 レーザー・フィストは止めようとした。が、当然受け入れてもらえるはずがなかった。 「だってこのままだと辛気臭いし」 彼女は自分の家を作り替えることで、完全に「自らのもの」にするつもりだった。レーザー・フィストは諦めた。もう好きにしてほしい。 それでも彼女につこうと思ったのは、「ウェンウーの娘だから」以上の何かがあったのかもしれない。 今日も四人の人間がここを去った。うちひとりはシャーリンに刃を向け、彼女の手によって殺された。このようなことが、レーザー・フィストの知る限り両手でも足りないほど起きている。 「それ、片付けておいて」 シャーリンには傷一つ、血の一滴もついてなかった。彼女はあらゆることをひとりでやってのけてしまうので、レーザー・フィストはいつも「何かがあったあと」にしか立ち会うことができない。 「護衛をつけようか」 「そいつらが裏切っていたら背中からやられるけどね」 彼女の赤い唇が、美しく弧を描いた。 「だったら俺がつこうか」 「私を背中から切り裂きたいと」 「そうじゃない」 そのようなことは微塵も思ない。少なくともあの神秘の村で、竜の背に乗る彼女を見てからは、竜の背に乗る彼女を見てからは、勝てるかもしれないという夢を一切捨てた。レーザー・フィストに彼女は殺せない。正確には殺す技量がない。今でも心の底からウェンウーを敬愛しているレーザー・フィストも、これについては彼の失態を認めざるを得ない。父に拒絶された娘は、たったひとりで獅子になった。 「まあ私はそう簡単に殺されてあげるほど優しくないから」 確かに、彼女の身を案じること自体、烏滸がましいのかもしれない。刃を向ければ頭蓋骨を粉砕させられる。そんな女だ。殺すのにも骨が折れるだろう。 「お前だって、もらった竜の剣を私に使っていいんだよ?」 「まさか」 不満はあるが、わざわざ自分の命を危険に晒そうとは思わない。
散らばった食器の破片、横倒しの椅子、じわじわと染みが広がる卓布。 その中央に女がいた。先程まで椅子に座り、とりとめのない話をしていた彼女は、床に寝そべりぴくりとも動かない。 「シャ、シャーリン……」 赤髪の男は真っ青な顔で声を震わせた。 慌ただしく動き回るひとの影も、悲鳴や怒声も、レーザー・フィストにとってすべてが遠い場所でのできごとのように思える。 彼女はそう簡単に殺されない。そう願っていないと、自分が今まで信じてきたものの脆さに気づいてしまうと思っていたのだ。
シャーリンが目を覚ましたとき、レーザー・フィストはたまたま彼女の寝室にいた。 「どれくらい寝てた?」 突然聞こえた掠れ声にも、さして驚かなかった。医者からはそろそろ目を覚ますころだろうと言われていたからだ。 「三日」 「そんなに」 薄い腰に手を当て、助け起こしてやると、彼女はまだふらつくのか頭を両手で覆った。 「仕事が、溜まっているでしょう」 「そんなのあとからでいい」 卓子にあった水を差し出したが、シャーリンは受け取らなかった。 「もう少し休んでくれ」 「そうする。……ねえ」 再び布団の中に潜ったシャーリンは、じっとレーザー・フィストを見つめた。 「いつもの義手じゃないね」 そうだった。刃こぼれがひどいので見てもらっているのだった。錆びないように丹念に脂も落とす必要があるので、しばらくは返って来ないだろう。しかし、一通り説明するつもりもなく、単にメンテンナンスに出したとだけ答えた。