オットーとノーマンと5人(人?)の子供たち。

ぱっと飛び散った鮮血が、床やテーブルを汚す。乾くとこびりついて拭き取りづらくなるが、そんなことなど考えられないくらいに、オットーは狼狽えた。  ノーマンは大きく目を見開き、床の赤い斑点を見つめている。額から流れる血は、彼のお気に入りであるモスグリーンのシャツにまで垂れ、じわじわとその範囲を広げている。 「ノーマン、すまない、そんなつもりじゃ」  オットーの頭の中で四つの声が響いている。目の前の男は敵だ。罪のない人間の殺し、兄弟を傷つけた悪魔だ。オットーの「子供たち」とノーマンの関係がうまくいっていないことは知っていた。オットーにとっては久しぶりに再会した友人でも、彼らにとっては兄弟の首を撥ね、父親を危険に晒した残忍な男だ。だから、ノーマンがアームの修理を手伝いたいと申し出たとき、これがきっかけで関係がよくなるのではないかと思った。  甘かった。近づいてくるノーマンを敵だと認識したアームは、彼に襲いかかった。そして運悪く当たった爪が、彼の額を切ったのだ。 「大丈夫、わかってる」  そう言いながらも、ノーマンはうしろへ下がる。傷口を手で抑えるが、指の隙間からも血がどんどん溢れていく。 「頭部には血管が集まっているから、出血量が多いんだ。でも見た目よりひどい怪我じゃない。大丈夫、大したことない。全然大したことないよ」  まるで自分に言い聞かせるようにノーマンは言った。 「タオルを持ってくる。それに救急セットも」  オットーは急いでそれらのものを用意した。白いタオルがみるみる赤く染まっていく様は、当事者ではないとはいえ見ていられなかった。 「血が止まったら病院に行こう。縫う必要があるかもしれない」 「ああ」  ノーマンはオットーを見て、少しだけ笑った。 「君のほうが死にそうな顔をしてるじゃないか」  「子供たち」は大人しくなっていた。父親の動揺が伝わったのかもしれない。  ノーマンは平気だと笑ったが、唇は紫色に染まり、オットーが手を伸ばすたびにびくりと体を震わせる。  友人のために、オットーはここにいるべきではないかもしれない。最早友人にとって彼は恐怖の対象であり、自らを傷つける存在なのだ。  それでもオットーは動かなかった。自分が安心するために、あるいは罪悪感を少しでも軽くするために、ノーマンから離れなかった。

ぱっと飛び散った鮮血が、床やテーブルを汚す。あれが乾くとこびりついて拭き取りづらくなるので、早めに掃除しなければと、オットーは頭の隅で考える。右の掌はぱっくりと切り裂かれ、そこから新しい血が次々と流れ落ちる。オットーはひとまず近くにあった布巾を巻き、応急処置を施した。  目の前の男は、必死の形相で包丁を握っている。追い詰められた手負い獣のようだと、オットーは思った。 「それを置いてくれ。話ができない」 「黙れ!」  オットーはうしろへ下がる。これ以上刺激してもよいことはなさそうだと判断したからだ。 「お前がノーマンを傷つけるところを見た」  男の目が怒りに染まっている。彼はノーマンの防衛本能であり、ノーマンの心身を守るためだけに存在している。ゆえに、他の一切のものは彼にとって紙屑に等しい。 「あれは僕がやらせたんじゃない」 「お前がやろうがうしろにくっつけた鉄の塊共がやろうが、俺にとってはどっちも同じだ。この、化け物」  男の頭に巻かれた包帯から血が滲んでいる。暴れてくれたおかげで傷が開いたらしい。「子供たち」もすっかり興奮し、先程からきいきいと鳴いている。 「こいつらを黙らせろ!」  オットーは彼らを宥めすかし、再び男を見た。彼はオットーに包丁を向けたまま、バルコニーに出る。 「お前みたいな化け物に殺されるくらいなら、ここから飛び降りてやる」 「待て、わかった。わかったから」  包帯に滲んだ血の面積が、先程より大きくなっていた。このままではノーマンの体に負担がかかりすぎる。  オットーはソファに腰を下ろし、両手を広げた。 「何もしない。約束する。君たちを傷つけることは絶対にしない。ここに座ってテレビでも見ているよ」  男は恐る恐る部屋に戻った。包丁はしっかりと握ったまま、オットーから目を離さず警戒する。  オットーはため息をつき、テレビの電源を入れた。チャンネルを変えていくが、どれもくだらない番組ばかりで真剣に見る気が起きない。  そのうち、キッチンのほうからがちゃがちゃと音が聞こえてきた。そうだ、朝食の途中だった。今朝はスクランブルエッグにワッフルを焼いた。気づかれないように音のするほうへ目を向けると、男は手掴みでスクランブルエッグを口の中に運んでいた。口の周りを卵やケチャップで汚しながら、皿の上の食べ物を掻き込んでいく。  食べるだけの元気はあるのか。  オットーはどっと疲労を感じ、そのまま目を閉じた。

オットーが目を開けると、部屋は再び静かになっていた。キッチンには誰もいない。慌てて辺りを見渡すと、男はすぐに見つかった。ダイニングテーブルの下で丸くなり、眠っている。 「おいおい……」  オットーは苦笑した。どうやら、腹が膨れて眠ったらしい。まるで子供だ。ひとを殺せるほどの力と残忍さを持った子供。 「風邪を引くよ」  オットーは手を伸ばし、男の体を揺すった。彼は飛び起き、そばにあった包丁を掴む。 「君をどうこうするつもりならとっくにやっているよ」  オットーは笑って立ち上がった。 「ソファで横になりなさい。ここは冷たいし、首を痛めてしまう」  男は動こうとしなかったが、オットーがテーブルを離れ、ソファの下に敷いた絨毯に腰を下ろすと、ようやく這い出てきた。 「寒かったらひざ掛けを使って」  男がソファに横たわるのを背後で感じながら、オットーはテレビの音量を下げた。やがて穏やかな寝息が聞こえる頃、彼の意識も遠のいていった。