グリゴブとマックスがだらだら喋っているだけ。

グリーンゴブリンの能力について、剥き出しの凶暴性だとか強化された肉体だとか驚異的な身体能力だとか言っている人間は、彼が持つ真の恐ろしさを何も理解していない。マックスが考える彼の能力は、「無から有を生み出すこと」だ。  これもその能力を遺憾なく発揮した結果である。ゴブリンは自分が本来存在する世界とマックスがいる世界を自由に行き来することができた。 「どうやって」 「企業秘密だ」  ゴブリンはにやりと笑った。 「ノーマンには内緒だぞ」  もちろんあのタコ野郎にも、と付け加え、ゴブリンは悠々と街を歩く。細身のジーンズに紫色のパーカーを羽織り、頭からフードをかぶった彼は、狂気に満ちた殺人者と同一人物に見えない。あのとき、こことは違う世界で見た彼は、影の中でも瞳の青さがわかるほど目を爛々と輝かせ、大仰にマックスたちを諭した。 「これは呪いじゃない、贈り物だ」  ありのままの自分を受け入れ、肯定してくれる人間に、マックスは初めて出会った。目の前にいた六本腕の男(ゴブリンの言う「タコ野郎」のことである)は恐怖と困惑で固まっていたが、正体も知らないまま発砲してきた警官のほうがよっぽど恐ろしい。そもそも治療が成功し、もとの世界に戻ったからといって、生存できる確証はない。それどころか、生身の人間のまま戻されたせいで、余計に死のリスクを負うかもしれない。  それに、せっかく得た力を使わないなんてもったいないじゃないか。  だからマックスは、マンションの部屋から逃げ出した。外へ出た直後、路地裏でこれからのことを考えていると、グライダーに乗ったゴブリンが現れた。 「で?」  ゴブリンは首を傾けた。 「お前はこれからどうする」 「どうするって言われても」  帰る気はない。もとの体に戻る気もない。しかし、あの箱がある限り、確実にこちらは不利だった。 「とりあえずあの装置をどうにかするかな」 「ふーん」 「あんたは?」 「まだ遊び足りないけど、その前にいろいろ準備がある」  グライダーのエンジンが唸る。ゴブリンは口角を上げた。 「まさか、その貧弱な装備で向かうつもりか?」 「そういうあんただってぼろぼろじゃん」 「だから準備が必要なんだ。クモ退治は骨が折れるからな」  ゴブリンを乗せたグライダーは空高く舞った。 「じゃあな。幸運を」  幸運。あの狂気の男には最も似つかわしくない言葉だ。  結局力を奪われ、もとの場所に帰されたわけだが、ゴブリンとの再会は予想外だった。 「あんた薬で消えたのかと思った」 「まさか」 「ということは、あの貧弱そうなじいさんはまだあんたと一緒にいるわけか。ええと、つまりこの体の持ち主のじいさんだ。ややこしいな」 「そういうこと。おっ、このお菓子俺が知らないやつだ。買ってくれよ」 「はいはい」  マックスはため息をつき、財布を開く。最近わかったことだが、ゴブリンは甘いものに目がない。自分の世界には存在しない菓子やジュースを見つけては、食べたい飲みたいと騒ぐ。貨幣が向こうの世界と同じがわからないので、とりあえず今はマックスが購入している。菓子やジュースの値段なんてたかが知れているし、うまいうまいと言いながら飲み食いするゴブリンを見るのは嫌いじゃない。 「もうひとりのじいさんはあんたがここに来てるって知らないのか?」 「多分知らない。帰ったあといろいろあって、ちょっとした取引をしたんだよ」 「取引」 「一日数時間だけ主導権を俺に譲る。お互いの生活には一切関わらない。あとものを壊さない、ひとに迷惑をかけないっていうクソみたいなルールもつけられた」 「いいじゃん」  ゴブリンの主人格は、彼を完全に葬り去ることを諦め、うまい付き合い方を模索しているのだろう。つまり彼らの「治療」は現在も続いているわけだ。 「そんな貴重な自由時間を、わざわざここで過ごさなくてもいいのに」  苦笑するマックスを、ゴブリンはぽかんと見つめる。 「だってここ楽しい」 「うーん、あんたのとことあまり変わらないと思うけど」 「お菓子食べ放題だし」 「その金を出しているのは僕だけど、まあいいや」 「お前と話すの楽しいし」  これは予想外だった。  マックスは頬が熱くなるのを感じながら、ならよかったともごもご呟くのが精一杯だった。

楽しい。一緒に話すのは楽しい。  マックスは心の中で何度も呟く。たった数時間だけ与えられた自由を使って、自分に会いに来てくれる。他愛もないことで話したり、甘いものを楽しんだり、特別なことは何もないこの場所に来てくれる。その事実だけで、自然と頬が緩む。  道の向こうに、すっかり見慣れた男の影を見つけた。ジーンズにいつものパーカー姿の彼もマックスに気づいたのか、こちらに向かってくる。いつもは手ぶらなのに、なぜかボストンバックを持っている。しかし、それはすぐに気にならなくなった。そんなことよりも、彼に近づくにつれて、猛烈な違和感に襲われた。  違う。「彼」じゃない。 「誰だ」  男はぱちぱちと目を瞬かせ、じっとマックスを見つめる。 「驚いた……。見分けがつく人間なんてオットーくらいだと思っていたよ」 「オズボーン?」  オズボーンはにっこりと笑って頷いた。 「オットーも僕たちが誰なのかすぐに気がつくんだ。そんなに似てないかな」 「似てるも何も別の人間だろ」 「……なるほどね」  オズボーンは意味ありげに呟いたあと、持っていたボストンバックを開けた。 「今日君に用があるのは僕だ。これを渡そうと思ってね」  バックの中に手を入れて、中身を掴む。 「彼から聞いたよ。よく食べ物をご馳走してもらっているそうじゃないか。金を返そうにも貨幣はこちらと違うだろうし。だからこれにした」  オズボーンはボストンバックの中から金色の塊を取り出した。 「金のインゴットだ」  いわゆるゴールドバーである。マックスも本物は初めて見た。太陽の下、黄金色の光を当たり撒き散らしているそれを、彼は呆然と眺めていたが、はっと我に返ると慌ててオズボーンの手を引き、路地裏に身を隠した。 「何やってるんだよ!」 「何ってこれを渡そうと」 「あんなひと目のつく場所で金を出す馬鹿がいるか!」  オズボーンは困惑するばかりで、いまいち状況をわかっていない。マックスは頭を抱えた。彼もまた、ゴブリンとは違った意味で手のかかる男なのかもしれない。そういえば大企業の社長と聞いていたようなきがする。金銭感覚が狂っているのかもしれない。 「足りないならもっと持ってこようか?」 「いや足りる、足ります。むしろもらいすぎているくらいだ」  さすがに断ろうと思ったが、半ば押し切られるかたちで、マックスはボストンバックを受け取った。 「足りなくなったらいつでも言ってくれ」  そう言い残し、オズボーンは颯爽ともとの世界へ帰っていった。 「金持ちってよくわからないな……」  とりあえず、懐の心配をすることはなくなったことだし、今度はゴブリンを連れて映画でも見に行こうかと、マックスはひとり考える。