転生パロ。 年の差7歳。がんばれベイさん。

信じられないことだが、俺には前世の記憶がある。多分あれはそうなんだろ。死んだばあちゃんもお前がよく見るものは前の人生での記憶だって言ってた。俺は昔からおかしな夢を見たり知らない光景が頭に浮かんでくることが多々あった。幼い頃はこれが普通で、皆見ているものだと思っていたが、そうじゃないらしい。同級生に揶揄われて以来、俺は学習した。誰にも前世については話さない、と。  始めは断片的だった記憶も徐々に蘇り、どんな人間でどういう人生を送ったのか大体わかってきた。前世の俺は砂だらけの場所で坊主として暮らしていた。今の俺を知る人間が聞いたらきっと笑われる。俺が聖職者なんて自分でも信じられない。それなりに楽しそうだったが戦争が起こり、いろいろあって巻き込まれた俺はあっけなく死んだ。我ながら悲惨な最期だ。  前世には親友がいた。もちろん今の人生にも友達くらいはいるが、それよりも固い絆で結ばれた存在だった。盲目だが青い目の、綺麗な奴だった。そいつも戦争で死んだ。俺の、目の前で。  俺は青い目の奴に恋い焦がれていた、らしい。恐らく。だって今でも会いたいと思うんだから。もしかしたらそいつも生まれ変わってるんじゃないかと期待したこともある。小さい頃隣町まで探しに行って、心配した両親にこっぴどく叱られたことも。でも、ダメだった。この国にいるとは限らないし、そもそもこの時代に生まれていないのかもしれない。大きくなるにつれて再会できる望みを捨て始めていた。

19歳、邂逅

高校を卒業した俺は特にやりたいこともなく、家の近くのダイナーで働いている。親は早く独り立ちさせたいようだし、とりあえず金が貯まったらアパートを借りよう。 「いらっしゃいませ」  入って来た客の顔を見た瞬間、俺は危うくトレーを落とすところだった。  あいつだ。  やっと見つけた。  青い目は記憶の中と変わらない。髪は丸刈りではないが短め。スーツ姿。目は見えているようだ。多少異なる点はあるが、人好きのする笑顔は同じだ。 「ここのおすすめは?」  柔らかい男の言葉にシフォンケーキです、と震える声で答える。ここのマスターは料理もうまいがお菓子も絶品で、リピーターも多かった。 「シフォンケーキか、いいね。私は甘いものに目がなくて。食事のあとに頼んでもいいかな?」  俺はこくこくと頷く。  俺だよ、チア。早く気づけよ。  男はいつまで経ってもテーブルから離れない俺を不思議に思ったらしい。愛想よく笑ってこう言った。 「どうかしたかな?」  あ、覚えてないのか。  そっか。そりゃそうだ。前世の記憶なんてあるほうがおかしい。  馬鹿だな。何期待してたんだろう。  注文を取りキッチンへ向かう。少しだけ涙が出た。

男はすっかりマスターの料理の虜になったらしい。 「やあ、また来たよ」  ランチやディナー、コーヒーを飲みに来ることもあるが、シフォンケーキは必ず注文した。 「甘いもの、好きなんですね」 「そうなんだ。食べると元気になるだろう?」  男は近くのオフィスに勤めていて俺より7つ上らしい。 「君も料理を作るのかい?」 「……いや、アルバイトなんで」 「残念だなあ。君の料理、食べてみたいのに」  男が微笑む。やりたいことが見つかった。

24歳、自覚

再会から5年。金を貯めて一人暮らしを始めた俺は、ダイナーで修業しつつ料理の専門学校に通っている。やっぱり資格はあったほうがいいだろう。  男はすっかり常連客になっていて、相変わらずシフォンケーキを注文している。 「今日のケーキも最高だ。いくらでも食べられる」  俺はその言葉にニヤリと笑った。 「今日のケーキ、そんなにうまいか?」 「もちろん。いつもと少し味は違うが……、すごくおいしいよ」 「俺が作ったんだよ、それ」  その頃から、俺は厨房も任されるようになっていた。不安もあったがこれなら大丈夫だろう。 「すごい、君は天才だよ!食感も完璧だ」  男はこちらが恥ずかしくなるくらい褒めちぎる。「店を出そうとは思わないのかい?」 「いずれは。金を貯めて、もっとここや学校で勉強してからかな」 「君のお店ができたら必ず行くよ」  男はそう言って最後の一口を味わった。

ダイナー以外の場所で男に会ったのは初めてだった。買い出しの途中だったが、思い人の姿は遠目からでもすぐわかる。声をかけようと思ったが、隣にいる女性がいたので躊躇われた。  ふたりは恋人のように腕を組み、楽しそうに話をしながら歩いている。あいつだっていい歳だ。恋人だっているだろう。結婚はまだだと言っていたが考えてはいるはずだ。もしかしたら、相手はあの女性かも。  急に苦しくなって俺は走って店に戻った。わかってる。前世と今は違う。俺がどんなに思ったところで、あいつにとっては馴染みの店のちょっと仲のいいウェイターでしかない。普通に恋して、結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を築く。そのほうがあいつのためだ。前世で温かな幸せを掴めなかったあいつのためなんだ。愛されたいとは思わない。ただあいつの近くで、あいつの幸せを見届けたい。今の俺にはそれだけで十分だ。

29歳、別離

学校も卒業し、ダイナーでは中核を担う存在になっていた。マスターからもいつでも独立できるとお墨付きをもらったが、もう少しだけあいつのそばにいたい。  男は今でも店に来て、必ず俺の作ったシフォンケーキを食べる。 「君の作る味がいちばん私の口に合うんだ」  男にそう言われると自然に口元が緩んだ。女々しい奴。  金も順調に貯まってきている。店を出すならこの町で、この男の近くでがいい。  幸せを見届けると勝手に誓ったが、男は独身のままだった。 「付き合った女性は結構いたけど結婚となるとなかなかね。難しいものなんだ」  おかげで親戚連中がうるさくて、と男はフォークを入れながら俺に愚痴る。 「君もそろそろ考える時期じゃないのかい?彼女は?」  今、彼女はいない。5年前、自分の気持ちを自覚してからはずっと。結婚も考えていない。しないだろうし。  この時間がずっと続いてくれれば、何もいらない。

「早く上がれる日ってあるかな?」  男からの急な誘いに俺は茫然とした。 「いつも君にはおいしいケーキを食べさせてもらっているからね。何かお礼がしたくて」  うわぁ、すごく嬉しい。思わずニヤける。でも自分が抑えられなくなりそうで、少し怖い。……いいか、1回くらい。食事だけなら。逆に諦めがつくかもしれない。  俺は了承し、マスターに頼んで予定を空けておいた。  食事だけだ。期待はしない。今の俺とあいつはただの友達なんだから。  頭ではわかっているが顔に出てしまうのが俺の悪い癖だ。  当日、待ち合わせ場所に現れた男は俺の姿を見て「そんなに楽しみだったのかい?」と笑った。  男が案内してくれたのは小さなイタリアンレストランだった。落ち着いた雰囲気で料理もおいしかった。 「その道のプロを連れてくるからね。店選びも気合が入ったよ」  男はそう言って、テーブルの上に置かれた俺の手を優しく握る。「デートみたいだね」  店内は落ち着いているが俺の心は落ち着かない。  食事を終え、店を出ると夜風で体が震える。俺は男に礼を言い、料理の感想を聞きたいという彼に応えていると。 「泥棒!」  突然高い声がそこら中に響く。数十メートルほど離れた場所に、バックをひったくられたらしい女性が座り込んでいた。物盗りはバックを脇に抱え逃走しようとしていた。  俺は咄嗟に体が動いた。思いを寄せる男の手前、恥ずかしくない行動を取ろうと思ったんだ。物盗りは追いかける俺に気づき、あろうことか男の方向へ走った。 「危ない!端に寄れ!!」  くそ、こうなるならそばを離れるんじゃなかった。必死に叫ぶが男は動こうとしない。何やってるんだ!  が、俺の心配は杞憂に終わった。男は向かってくる物盗りに足をかけ地面に叩きつけると、そのまま馬乗りになり腕を取った。  俺は呆気にとられながらも駆け寄る。 「君は役に立たなかったな」  男は得意げに笑った。  バックを取られた女性はかすり傷ですんだ。物盗りをやって来た警察官に突き出し、簡単な事情聴取を受けて解放された。 「驚いたな。何か格闘技でもやってたのか?」 「幼い頃からね。身体を強くするために両親が」  こんなところで役に立つなんてと男は嬉しそうに言った。「人助けをするのは気分がいい」  そういえば、前世のあいつもめっぽう強かった。しかもこの男のように人助けが趣味で、よくトラブルに巻き込まれては俺がフォローしてた。  今、俺の助けは必要なさそうだが。  歩いていると、男は少しだけ顔を顰めた。 「足をかけたときに痛めたかも」  ここからだと俺のアパートのほうが近い。仕事に響いたら困るから簡単な手当てをしようと俺は家に男を案内した。

男をソファに座らせ、テーピングをしたあと氷で患部を冷やした。男の足は白くて細くて、ずっと触れていたくなる。 「ありがとう」  男は礼を言うと、俺の腕を掴んで隣に座らせた。有無を言わせないその動きに、俺は大人しく従う。 「君は優しいんだね」  男は妖艶に笑う。初めて見る顔だ。 「皆にもそんなに優しいのかな?それとも私は特別?」  慌てて立ち上がろうとするが強い力で抑えられる。 「君が私に好意を向けていることは知っている」  男は手を握り、自分の首元を撫でさせた。 「ずっとこうしたかったんだろう?」  そのまま俺の手は男の胸元を滑り下半身へ向かう。  つまり俺は。俺は何もかも見抜かれていたわけだ。心の内を必死に隠して、幸せを見届けるだけでいいと思っていたのに。とんだお笑い種だ。あんたはそんな俺を揶揄っていたのか。楽しんでいたのか。自分に溺れる年下の男を見て笑っていたのか。  これ以上は耐えられないと男の手を振りほどく。奴は俺の顔を見て目を見開いた。 「……泣いているのかい?」  慌てて目元を擦ると水滴がついた。噓だろ、こんな。こんなことで泣くなんて。擦っても擦っても、涙はどんどん流れて止まらない。 「今日はもう、帰ってくれ……」  男が扉を閉める音を聞いて、俺は蹲った。  くそ、なんだよ。揶揄いなんていつものことだろ。何で今日に限って泣くんだよ!  あいつも何だ。人の気も知らないで。出会って10年、どんな思いで見てきたのかお前にわかるのかよ!俺のことなら何でも知ってるってか。前世の記憶もないくせに。俺がお前にとって何だったかも思い出せないくせに!  ひとしきり泣き、俺は決意した。もう限界だ。この町を出る。

ダイナーを今日限りでやめたいと言うと、マスターは渋い顔をしながら了解してくれた。急に言われても迷惑だろうに、本当に申し訳ない。迷惑ついでにもうひとつだけマスターに頼みを聞いてもらった。男は店に来なかった。  アパートもすぐに売り払う。荷物が少なくて助かった。  空っぽになった部屋でこれからについて考える。とりあえず温かいところに行こう。料理は好きだから続けたい。店を持ちたいという夢も捨てられない。どうせひとりだ。気ままにやるさ。  あいつのそばを離れるのは、少しだけつらい。でもこれでよかったんだろう。このままだとふたり揃って自滅しかねない。あいつには普通の幸せを築いてほしい。俺みたいな奴とじゃなく。  そう、俺は逃げるんだ。あいつから。前世でも目の見えなくなったあいつから逃げ、今回も俺の気持ちに気づいたあいつから無様に逃走する。結局何も成長してないな、俺は。こうなることはずっと前から決まっていたのかもしれない。  部屋を出て駅に向かう。風は冷たかったが心は晴れやかで、出発にはぴったりな日だった。

45歳、再会

「マスターのケーキって何でこんなにおいしいんだろう!」  それは愛情をたっぷり込めてるからさ。  柄にもなくそう言うともうひとりの客が頷く。「じゃあマスターの愛ってすごく甘いんだね」  この町に来て1ヵ月。店はそこそこ盛況だ。常連客もできた。目の前のカウンター席に座る若いふたりの男女。  俺はこのふたりをずっと昔から知っている。多分ふたりは覚えてないが。 「これ、ボーイフレンドに持って行ってやりな」  焼き菓子の入った紙袋を女の前に置くと、彼女は「いつもありがとう」と微笑んだ。  彼女の大切な男も俺は知っている。こっちの世界でようやく一緒になれたらしい。ふたりはとても幸せそうだった。よかった、あそこではつらい運命を背負っていたから。各々今の人生を楽しんでいるようでホッとした。  来客を知らせるベルが鳴る。男がひとり。俺は彼を知っている、ずっと昔から。 「君のお店ができたら必ず行くって言っただろ」  男は人好きのする笑顔を浮かべた。 「ここのおすすめは?」  そうだな、シフォンケーキかな。

まさか泣くとは思わなかった。 「今日はもう、帰ってくれ……」  震える声でそう言われれば従うほかない。  やり過ぎたか。反省してももう遅い。ああすればこちらの誘いに乗ってくれるのではないかと思っただけだ。傷つけるつもりはなかった。  彼は今もひとり部屋で泣いているのだろうか。

その日以来、何となくダイナーから足が遠ざかっていた。彼にどんな顔で会えばいいかわからない。最後に見た泣き顔がちらついて仕事も集中できない。  このままではいけないと思い、結局店に入ったのはあの夜から1週間後のことだった。いつものようにいい香りが漂う店内に、しかし彼の姿はない。私が来たら嬉しそうに飛んできて注文を取るのに。 「あの、いつものウェイターは?」  思い切ってマスターに聞くと、店をやめてしまったと言う。 「店を出すために引っ越すんだと」  どこに行くかは言ってなかったらしい。  もう二度と会えないかもしれない。  呆然とする私に、マスターは一通の手紙を渡してきた。 「あんたが来たときに渡してくれって」  帰宅し封を開ける。シンプルな白い便箋でこう書かれていた。 《こんなふうに誰かに手紙を書くのは初めてなので少し緊張します。  俺はあんたのアドレスも電話番号も住所も知らなかったからマスターに手紙を預けました。受け取ってくれただろうか?  あんたからこんなかたちで逃げてしまって本当に申し訳ないと思う。あんたが言うように俺はずっと好きだった。でも特別な関係になりたいとか思ったことはない。そばにいるだけで十分だと思うようにしてた。  でも自分の気持ちを見透かされて、このままだと止められなくなると思った。だから逃げた。あんたには普通の幸せを掴んでほしかったから。  勝手にいなくなって申し訳ない。俺のことは忘れてほしい。  最後に餞別じゃないがあのシフォンケーキのレシピを載せておく。簡単だから初心者でも大丈夫だ。よかったら作ってみてほしい。》  封筒の中にはもう1枚紙が入っていて、シフォンケーキの作り方が細かく書かれていた。レシピを持ってスーパーへ向かう。  足りない材料を買い込み、帰宅してキッチンへ並べる。彼が私のために書いてくれたレシピを見ながら、ひとつひとつ工程を進めていく。型に生地を流し込み、オーブンに入れる。しばらくすると甘い匂いが鼻を擽った。  少し焦げたが、初めてにしてはまずまずの出来だろう。フォークで切り分け、口に入れる。  おいしくない。  思わず笑ってしまった。ぜんぜんおいしくない。  彼のものはもっと口当たりのよい食感で甘過ぎず、優しい味がした。これは彼のケーキじゃない。レシピを教えてもらったとしても彼のケーキにはならない。彼のケーキが食べたい。  彼に会いたい。会って話をしたい。この10年、私は彼の何を見てきたのだろう。何を知っていたのだろう。思われているからと自惚れ、彼を深く傷つけてしまった。どこに行ったかもわからない。もう会えないかもしれない。それでもここで動かなければ、きっと後悔する。  ダイナーのマスターから彼の家族や交友関係を聞き出し当たってみたが、手掛かりはなかった。インターネットでそれらしい店の情報を集めてみたが、どれも違った。それでも諦めきれなかった。  気づけば16年の歳月が経っていた。きっかけはオフィスの女性社員が持って来てくれた焼き菓子。 「南のほうに住んでいる友達が買ってきてくれたんです。すごいおいしいから皆さんにもおすそ分けしようと思って」  噛んだ瞬間すぐにわかった。この味だ。  すぐに彼女から店の場所を聞いた。ここからだと1日はかかる。でも我慢できない。今すぐ彼のもとへ行きたい。  仕事を切り上げ外に出る。彼はどんな店を持ったのだろうか。16年でどんなふうに変わったのか。高ぶる気持ちを抑えながら急いで駅に向かった。