女王七歳、参謀十九歳のイメージでお送りします。

目の前の青年は美しい顔をしていた。すらりと伸びた手足、華奢な体。大きな瞳はどことなく鋭い光を宿していて、アトランナは父の矛を思い出した。 「ヌイディスと申します」  青年はその場に膝をついた。 「私の身の回りの世話をしてくれることになった」  父の大きな手が青年の背中を叩いた。 「お前の面倒を頼むこともある。よく言うことを聞くように」 「はい、お父様」  アトランナの返事は決まっている。ここでは父の言うことが絶対であり、決して逆らえない。  青年は父につれられていった。短い黒髪が水中でたゆたう。

「アトランナ様」  ヌイディスは低く、掠れた声で名前を呼ぶ。それが心地よくて、アトランナはつい聞こえないふりをして、何度も名前を呼ばせる。 「アトランナ様、ご夕食の時間です」  ヌイディスはアトランナの前に膝をつくと、困ったように微笑んだ。 「何度もお呼びしたのに」 「ごめんなさい、本に夢中になっちゃって」  廊下を進みながら、アトランナはゆらゆらと揺れるヌイディスの黒髪を見つめていた。彼の髪は、すでに肩の長さまで伸びていた。 「お前は一緒に食べないの?」 「私もあとで食事しますよ。ただ、みなさまと同じ席につける身分ではないので」  アトランナは首を捻った。この城の者たちは、みな同じことを言う。身分、身分、身分。そんなに大事なものなのだろうか。  アトランナをつれてきたヌイディスを見て、母は顔を顰めた。母はなぜか、ヌイディスをきらっていた。いや、憎んでいたと言ってもいい。アトランナにとって母は優しく、温かく、誰に対しても公平な素晴らしい人格者だった。だからこそ、憎しみに歪む母の顔を見たくなくて、アトランナは目を逸らした。

父からもらった地上の石は、ヌイディスの髪のように深い闇の色をしていた。 「これは?」 「黒曜石というらしい」  黒曜石。アトランナは心の内でそっと呟いた。 「お前の髪は黒曜石みたいに綺麗な色だね」  アトランナの言葉に、ヌイディスは首を傾げる。火山岩など、海中の国では縁がない。 「見たことがあるんですか」 「お父様が陸のお土産にくれたんだ。ほら、これ」  その黒い石を、ヌイディスは不思議そうに見つめていた。彼の髪はもう腰のあたりまで伸びていた。

アトランナはヌイディスについて回った。物静かで優しい彼といると、城の喧騒を忘れることができた。そんなふたりを城の者たちは微笑ましく見ていた。 「おふたりはまるで本当の……」  そこまで言うと、みな慌てて口を噤む。  ある日、アトランナは床にうずくまるヌイディスを見つけた。 「大丈夫?」  彼の唇は真っ青で、顔は真っ白で、手は震えていた。それでもなんとかアトランナに微笑みかける。 「平気です。少し気分が悪くなっただけで、休んでいれば治ります」 「ほんとうに?」 「本当です」  アトランナはヌイディスの薄い背中を何度もさすってやった。 「アトランナ様は、お優しいですね」  ヌイディスは掠れた声で呟いた。

本当は、青年が何者なのか、アトランナは薄々気がついていた。  大人は子供を見くびりすぎる。彼らのちょっとした反応でも、子供たちは感づいてしまうというのに。  武術の稽古で怪我をしたアトランナに、ヌイディスは包帯を巻いてくれた。 「先生を相手に一本取ったんですって?」 「そう。すぐに負けちゃったけど」 「それでも素晴らしいですよ。アトランナ様はきっと父君のような、立派な王になられますね」  ヌイディスの声に負の感情はなかった。ただただアトランナの成長を心から喜んでいるように見えた。 「私は……」  私は、父のように勇敢な王になる。  しかし、アトランナはその言葉がどうしても言えなかった。 「私は、優しい王になる」  ヌイディスはいつものように優しく微笑んだ。 「なれますよ、アトランナ様なら。誰よりもお強く、優しい王に」